NISHIO Hirokazu[Translate]
「とにかくやれ」は最終ラインではない
「とにかくやれ」という言葉はよく見る
「とにかくやれ」を真理のように感じている人がいた
しかしその人は、それでも「やる」ことができなかった
そこで「やる」ことのできている人に相談した
できる人は「それほどやりたくないのでは?」と指摘した
そして「とにかくやれ」を繰り返した

僕はこの最後のステップに疑問がある
すでに「とにかくやれ」を十分承知している人に同じ情報をインプットしても、何も変わらない
そのアドバイスは、変化できない現状に彼を縛り付ける呪いとして機能してしまうのではないか

「やる」以前に、それを「やりたい」ことが必要がある
現在「それほどやりたくないのでは?」という疑問が生じている
彼が「やりたい」と思っていることは、実は彼が本心からやりたいことではない可能性がある
本人が無自覚のうちに、周囲から吹き込まれたことを、自分自身の内面から生まれたものだと勘違いしている可能性がある
これは検証するべきなのでは?

「やる」と「やりたい」の両方が必要
「やる」は「とにかくやれ」を信じているにもかかわらず、行動に移せていない
ならば「やりたい」の側を変えなければ、現状から何も変わらない
例えば
今から一週間、それをやることを禁止する
「やらなきゃ」と考えることも禁止する
考えてしまったら「いやいや、今はやらない週間だ」と打ち消す
これによって、今はまで「やらなきゃ」「でもできない」のループにとらわれて浪費していた脳のリソースが解放される
「やっぱりこれをやりたい」となり、禁止期間が終了したら「やる」ことに着手するかもしれない。一歩前進だ。
それよりも別のやりたいことを発見するかもしれない。これも前進だ。
1週間、それをやる気にもならず、新しいやりたいことも見つからなかったとする。あなたは自分に不都合な現実を直視しなければならない。あなたが今まで「やりたいこと」だと思ってたものは幻想であり、しかも他の「やりたいこと」を現時点では持っていない。中身の入っていると思っていた箱が空っぽであることに気づいた瞬間である。
箱に新しく入れるものを探し始める必要がある。

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