embeddingベクトルの詰まったパケットは表意文字
>nishio embeddingベクトルの詰まったパケットは表意文字
>nishio LLMが最終的にSoftmaxなどを使って単語の有限集合の中から一つを選ぶのは人間のコミュニケーションスタイルに合わせたものであって、ベクトルを直接読むことができる存在同士のコミュニケーションには必要のない制約である。
>nishio なのでその「単語集合のサイズに変換してsoftmaxする」レイヤーの手前のレイヤーの出力をそのままパケットに詰めてネットワークに出力する。UDP的に順序を気にせずブロードキャスト的にばら撒いてもいいし、特定の受け取り手に対してTCP的に順序を維持して発信してもいい。幼児の発話の発達段階的
>nishio この時にそのコミュニケーション様式をとっているAIから見てこのembedding的なものが詰まったパケットは「1つ」が意味を表現する塊の単位に認識されるはずで、それは漢字などの表意文字で「鮃」「鰈」と送られてくるのに似たような感覚になるのではないか

と

の議論の結果まとめ
LLM内部は連続ベクトルで回っていて、最後に「語彙サイズへ射影→softmax→単語を選ぶ」のは、人間が読める離散記号に合わせたI/Oであり、同時にトークン列で学習する都合でもある。
もし相手もベクトルを直接読めるなら、その層(softmax手前の hidden)を固定長パケットとして送ればよい。するとパケット境界が“意味の単位”として知覚され、漢字のような表意文字っぽさが出る。ただし連続のままだと表現が毎回微妙に揺れて、安定した字種(コードブック)に収束しない可能性が高い。
そこで離散化(コードブック化)の駆動因は歴史的には通信路ノイズ/帯域だったのに対し、現代ではビットは壊れにくいので、主因はむしろ互換性(モデル差・多数者・途中参加)/学習容易性/計算・帯域コストといった「社会化・スケールの制約」へシフトする。
関連
清書
LLMが「語彙サイズに射影→softmax→単語を選ぶ」のは、人間が扱う離散記号(単語列)へ出力するための“変換アダプタ”でもあり、トークン列で学習してきた都合でもある。けれど相手がベクトルを直接読めるなら、そのアダプタは不要で、softmax手前の hidden ベクトルを固定長パケットとして送る、という設計が自然に出てくる。
このとき通信の「単位」はパケット境界で切られるので、受け手にとっては 1パケット=意味の塊になる。漢字のように「一文字で概念が立ち上がる」感覚に近づく。一方で中身が連続ベクトルだと、同じ“意図”でも毎回少しずつ違う表現になりやすく、安定した字種(コードブック)に収束しない状態がしばらく続きうる。ここは「幼児の
喃語っぽい段階」とも言える。谷口論文が強調する「言語は社会に分散保持され、使用を通じて変容する外的表象」という見方とも噛み合う。
ここで面白いのが「コードブック化(離散化)が起きる駆動因が変わる」点。歴史的には、雑音の多い音声・身体・記憶・伝送の制約が強く、壊れない/届く/覚えられるために離散化が効いた。でも現代のネットワークは、少なくとも“ビット列”としてはかなり壊れない。つまり「物理層ノイズ対策としての離散化圧力」は相対的に弱まっている。
それでもコードブック化が起きるとしたら、主因は別になる。ビットは壊れなくても 意味は壊れる(モデル差・バージョン差・受信側の解釈差)。さらに、ブロードキャストで多数に通す/途中参加者が学べる形にする/計算・帯域コストを下げる、という「社会化・スケール化」の圧力がかかる。結果として、コードブックは“人間語彙”のようなものとしてではなく、もっと別の粒度(安定な部分空間、プロトタイプ、圧縮表現、互換層)で現れるかもしれない──これが「駆動因のシフト」の核心だと思う。