発想法 p.78-80
あるところでKJ法の実習会をやった。参加者は七、八人ずつ三チームに分けられた。そして三チームとも同じセットの紙片化した資料を持っていたのである。 その材料は、過去一年間の何度かのセミナーで、市場調査の問題をめぐりさまざまの講師が話した問題点を、KJ法の記録段階に従って紙片群にして用意したものであった。その紙片には、講師たちが話した順番に、通し番号までふってある。だからもしその順序に並べたならば、紙片群の一セットはそのまま一種の議事録にもなるものである。
このような紙片を三チームに渡し、各チームは各小部屋に分かれてその紙きれをテーブルに拡げ、グループ編成の練習をすることになった。そのとき、あらかじめグループ編成上の注意を告げておいたにもかかわらず、まことに珍妙な光景がおこった。
第一チームの部屋をのぞいてみると、紙きれをカルタとりのように拡げ、一人だけがグループ編成をやって、あとは野次馬的なアドバイザーになっていた。これはまずまずのところである。
第二チームの部屋をのぞいてみると、おどろいたことに、紙きれの束をはじめに受けとったままの状態で、番号の順に積んでおいているだけで、一五分ほどの間というもの、一同は腕ぐみしたまま思案投げ首のていであった。なぜこんな光景が生まれたか。それは一種恐怖心からである。すなわち、せっかく順序よく並んでいる紙きれを、 もしもばらばらに拡げたら、それっきり収拾がつかなくなるだろうという恐怖心なのである。 「それはいけない」といって、私が紙片をばらばらに拡げたら、一同は悲しそうな顔をして私をにらんでいた。
第三チームの部屋に入ると、これまた別種の奇妙な光景がみられた。すなわち、頭のよい人が一人いて、「これらの資料はいずれもマネージメントに関係があるのだから、これこれこういう分類のカテゴリーでしわけよう」ということを提案したらしい。他の数人もそれに賛同して、あらかじめ分類ワクがきめられた。 そしてそれに従って、くだんの紙きれを配っている最中であった。これはすでにのべたように、男性、とくに知識人の陥りやすい独断性の問題である。そこで、この部屋の紙きれ群も、私はばらばらにしてしまった。
この事例のように、理屈の上でわかっているつもりでも、いざ実行というときになると邪道を歩む人がなかなかに多いのである。それほどまでに、われわれはいつの間にか、独断的な分類のワクぐみばかりに取りすがり、事実やその情報の語りかけに素直に耳を傾けようとしない悪習を身につけている。