Computer Graphics, Media Art, Tea Culture, and Zen
コンピュータグラフィクス、メディアアート、茶文化、そして、禅。落合 陽一
2021-12-16 #SIGGRAPHASIA2021
会場でざっくりノートを取った
2021-12-20 加筆した
目次
「物化」とは?
メディアアート
物質世界と心の中のイメージのギャップ
物質とイメージ、アフターコロナの捉え方の変化
「定在する遊牧民」
Post-Covid、ナムジュンパイク考える
映像的作品が身体性を増している
NFTマーケットの盛り上がり
メディアアートとサスティナビリティ
茶文化にヒントがあるのでは
煤竹(すすだけ)とは、古い藁葺き屋根民家の屋根裏や天井からとれる竹のこと。100年から200年以上という永い年月をかけ、囲炉裏の煙で燻されて自然についた独特の茶褐色や飴色に変色しているのが特徴。
茶文化をメディアアートのオルタナティブと捉える
茶禅一味
茶道と禅は、違うように見えても、求める境地は同じである、という意味を込めて用いられる表現。茶の湯は禅に通じる。もともと茶道は禅から生じた道である。(実用日本語表現辞典)
500年前の茶碗
日本科学未来館
侘び寂び

民芸運動
民藝と共生
柳宗悦
デジタルデータを長持ちさせたい
創建年 貞観16年(874年)
いのちへ
醍醐寺
サン=テグジュペリ
人間中心でないいのちの風景
華厳 共生 民藝
仏教哲学
質疑
何かが満たされない気持ち
convivialityを満たしてきた物に回帰する?
メタバース、身体性を排する世界、これはこない?
直接の、目的に対する作用が明確でないもの?
身体性の議論
Q: デジタルネイチャーをなのった意味が少しわかってきた なぜ研究室の名前をそうしたのか?
Q: 高齢になるとデジタルとネイチャーがくっつくのはよくわからんなと思う、学生は理解してる?
In metaphysics, object-oriented ontology (OOO) is a 21st-century Heidegger-influenced school of thought that rejects the privileging of human existence over the existence of nonhuman objects.
----その後の話
nishio: 質量がない芸術(歌など) v.s. 質量がある芸術(大きな絵など) の対立構造が「質量のないデジタルデータ」+「身体性を感じるほどに大きなディスプレイ(=質量があるもの)」というアウフヘーベンを迎えたということなのかなー
nishio: ちょっと講演動画かスライドを読み返さないと、僕のメモだけでは情報が足りないなぁ。特に「華厳、共生、民藝」の「華厳」というキーワードがあんまりしっかり腰を下ろしてない。前半と後半をつなぐパイプとして「身体性」の方が強いぐらい。
nishio: #Kozaneba
ochyai: 時間がなくて華厳をすっ飛ばしまして大変恐縮です.この辺りを. →『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
nishio: たぶんですけど「華厳の概念」それ自体の情報よりは「落合さんが科学未来館の展示のどの側面に華厳の概念を感じているのか」の情報が重要なのではという気がします。
落合さんにもらった華厳の資料を読み始めた Kozaneba:『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
nishio: 我々、ものが「ある」と、それが「あり続ける」と暗黙に仮定するが、それは古い物理的な自然の中で育つ間に学習した「世界の仕組みに対するメンタルモデル」に過ぎない。視覚をHMDで覆うことの延長線上にある「五感すべてをデジタルで覆う状態」では、ものが「あり続ける」という前提が成り立たない
nishio: 「『ある』ものは『あり続ける』」などを含む「古い物理世界」の法則は、「新しいデジタルな世界」では成り立つ必要がなく、その世界で生きている未来人の世界観は当然現代人の世界観とは異なると考えるのが自然。例えば物には固定的な実体などなく、必要に応じて現れる物である、とか。
nishio: 現代人の言葉で言えば「VR空間の3Dモデルは、膨大なデータの入ったアセットストアから必要に応じてダウンロードされ、配置されます」であっても、生まれつきデジタルの世界に育った未来人にとっては「個物とは、絶対的存在が多様に分節化して顕現した物であり、固定的実体を持たない」となる
nishio: この「未来人にとって当たり前の世界観」が、実は意外なことに華厳宗における「真空観=すべての個物は固定的実体を持たない」と「理事無礙観=永遠無限絶対の存在である理が自己分節化して多様な個物が顕現する」とほぼイコールである。というわけで計算機上の自然では華厳の世界観になる。
nishio: とここまで考えてからこれを教えてもらった。後者のリンクの「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」における「事事無碍」は、真空感、理事無礙観、の次に来る周遍含容観と対応する概念なので、僕の思考は正しい方向に進んでそうだ >ochyai
まとめた