人それぞれ異なるものを持っていたり持っていなかったりする 自分が持っているものを持っていることを幸せだと定義すること これを自分の主観的な幸せの基準とすることまではよいが それを持たない人を不幸だと考えてはいけない それは他人の幸せの基準を自分が勝手に決めているから
幸福追求権という言葉は少し解像度が低い 人Xには「自分が幸せである」と主観的に認知する権利? (権利?がある?これは一旦脇に置く) 他人が人Xを不幸だとみなすことは 侵害? 争いを生む 「Aを持っていること」を幸せと定義すると 持っていない人はその定義にチャレンジする
ここで抽象化されて 「幸せの定義は自分がする」という信念を持つこと そうして良いと思えること、確信 それを持っている人たちはそれぞれ異なる形の幸せを持つが 持たない人が他人の決めた「幸せの形」に自分を合わせようとし ミスマッチな部分が痛みを生じる これは個人的には不幸であるように思うが、これも同様に不幸だと定義してはいけない
備考 あらゆる「持っていること」に起因する幸せは「失うこと」による不幸をもたらす
追記
1段落目:
2段落目:
3段落目:
備考:
4: 神託のタイトルをつけよ 「幸せの形: 主観の重要性と他人の基準の危険性」
タイトルを柔らかくして
「幸せの風景:一人一人の色彩と他人の影」