ほぼ時系列の生ログ
日記 夢の中で何か「わかった」という感覚なんだ^_^あったが、消えてしまった。
しかしそれは確かにそこにあったので逃げてしまったとしてもまだ水面近くにいるはずであり、思いつくことわ書き出していけばまた見つかるかもしれない?
井戸端で日記を書いていた
このScrapboxに日記的ページがあまりなかった なぜか
開発日記はあった 井戸端にも「関心のある人が多そうなものを開発したので書こう」という形で日記ページに書き始めた その後、周りの人の日記の書き方の影響で日記のテーマが広がった
豆論文化?
ゲームプレイ日記もあった
初期のブログ記事には日記的なものもあった 10年近くブログを書いているうちに無意識に変わった
井戸端の日記の良さ 本当にタイトルがなくて良い 1行だけ書くことにも抵抗を感じさせない
Scrapboxを使い始めた初期に感じたこと タイトルをつけなければいけないこと 思考を書きだす第一次的受け皿にそのような制約があってはいけない 日付のページが作られるhowm Evernote
タイトルを強制するのは書き出しのためではなく整理のため 書き出しのフェーズと整理のフェーズが渾然一体
Nota理念
井戸端がなんでも書いて良い場とされていたとしてもこれは書かない、なぜか 他人が読む形にしない?
静かな部屋のたとえ 騒がしい部屋では逃げてしまった魚を探ることができない 深く逃げてしまう 他人からの刺激によってトリガーされる思考が、先の思考の痕跡を覆い隠してしまう 物理的部屋に人や猫がいることですら邪魔なのでこれはトイレで書いている 起き上がってスマホをつかんでトイレに駆け込む感じ ひと段落ついてきたのでもう出ても大丈夫
井戸端にいる時、あきらかに心のモードが違う ゲーム日記をなぜか井戸端ではなくこちらに書いた なぜか?
夢の中で見たもの
すべてが書き出され、それから構造化されるべき なのに「場の空気」によって無意識に何が書き出されるかが変わっている
両方
昨日の社会的トリガー 半分日記的
Scrapboxの使い方 参考にされてる しかし例として適切ではないのでは 人生の目的のボトムアップ構造化 初期の段階ではなんでも書くべき 人生や価値観に関わっている 「青臭い」「恥ずかしい」と感じて隠したくなるだろう 「Scrapboxの使い方」とは別に「考えを書き出して事後的に整理したり読み返したりするシステムの使い方」としては、まずプライベートで一人で日記をつけるのが良いのではないか
無自覚にそれをやってきた howmの時代はWiki的システムに書いた日記が即座に他人に公開されることはなかった これは単に、まだそれに適したものがなかった いや、あったな、 Perlの日記CGI、ボットの入ってるチャットシステム、メーリングリストという同年代のコミュニケーションツール、などがあった
レバレッジリーディング
濃縮して書くところだけでなく、それを読み返すことにいみ
レビューツールkmkdk(噛み砕き)
人生の目的
モードの違い
最近やってた断片的読み物の実験も、若干違和感がある
ゲーム日記はなぜ書くのか
電子工作記事
書くことがない人
「今だったらフィルター」