Kozaneba:dwell-think
先に関連している文章に対して実験的にいつもと違うアプローチ(逐語的にやらないで先にざっくりキーワードを拾う)を試した: Kozaneba:thing
2021-12-25
さて、時間が空いたがこれを振り返ってみる
「逐語的にやらないで先にざっくりキーワードを拾う」というアプローチを試してみた実験、観察されたことは
- わからなくなってきた時に不安になる
- 何も拾われなかった時に「わからなくてただ読み飛ばしただけなのでは、もっときちんと読まなければいけないのでは」という気持ちになる
逐語的にやる場合にはこのような気持ちは起こらなかった、一行済んだらまた次の行、と淡々と進めていくだけ
普通の速度で読んで理解ができない文章を、どのような速度で読むのが適切なのかはわからない
そこで一番ゆっくりな方法をデフォルトとし、わかるならスピードアップする、という形が良いのかもしれない
やるなら文を読んで理解することを一旦放棄し、単に高頻度で出現するキーワードを拾うことを目的とするか
1ポモドーロ
「言い渡し」はキーワードである
1ポモドーロ
1ポモドーロ
3ポモドーロ実行して前半8ページが終わった
アイテム数が605
- 速度にストレスを感じ始めるのはやはりこれくらいの分量からか
- このまま継ぎ足して行ってもストレスが高まるので1ポモドーロ整理をする

2022-01-11
1pomo
分量ベースの見積もりによればあと2ポモドーロで刻み終わる
1pomo
1pomo、とりあえず最後まで進むことができた
この文章の厄介なところは、非平行的シンボルだらけであるところ。
単語を現代においてその単語が意味している意味にとらえてはいけない、そう本人が明記している。
で「考えること自体も、建てることと同じ意味で、ただし別の仕方で、住むことに属しています」という時
- A:考えること
- B:建てること
- C:住むこと
が非平行的シンボル
Aは文章中で定義しない、文章展開によって示している
「Cは、死すべき者たちがそれにかなって存在する、存在の根本動向です」
D:死すべき者たち
「Bの本質は、Cを能くするようにすること」
- ちょっと西尾の解釈が入っている
- 「建てることの本質は住むようにさせること」
- 「住むことを能くするときにのみ、建てることができる」
「Bするという仕方で産み出す」
「Eとは、現れるようにさせて、現前的にあり続けるものにする」
「Bとは四方界を、一個の物である橋というこちらへともたらし、その場所としての物を、すでにFという前にもたらすこと、そしてその時初めてこのFがこの場所によって空け渡される」
- G:四方界
- H:物
- I:橋
- J:場所
- K:空け渡す
- BとはGを、HであるIというこちらへともたらし、そのJとしてのHを、すでにFという前にもたらすこと、そしてその時初めてこのFがこのJによってKされる
あ、これ自体もテキストでやることにつらみがあるな

- ここまでのところを少し歪むけど西尾の言葉で言い換えると
- 「C:住むこと」はおおよそ「人が存在するということのあり方」で
- 「B:建てること」は「人がいい感じで存在するようにするためにサムシングを産み出すこと」
- 「考えること自体も、建てることと同じ意味で、ただし別の仕方で、住むことに属しています」
- 「A:考えること」自体も「人がいい感じに存在するようにするためにサムシングを産み出すこと」という意味で「C:住むこと:人が存在するということのあり方」に属している、ただし(物理的な住みかを作り出すのではないという意味で)別の仕方である
「場所は四方界を、二重の意味で空け渡します。場所は、四方界の立ち入りを許し、かつ四方界を整えるのです。」
- JはGを、二重の意味でKします。Jは、Gの立ち入りを許し、かつGを整えるのです。
- ちなみにここの段落に書いてあるように「橋」は「住みか」だけど「狭義の住宅」は「住みか」ではない。繰り返しになるけどシンボルを「そのシンボルが現代において指している意味」とは切り離して考えなければならない
「私たちが建物と呼ぶ、場所としての物の本質」
- L:建物
- J':場所としての物
「Jとして宿り場を許容する物たちのことを…Lと名づけましょう」
- 「J'たちの本質にはJと空間の関係、Jとその場所に滞在する人間との関係がひそんでいる」
- M:空間
「ラウム(空間)とはKされたもの」「あるJによって、つまりIという種類のHによって、取りあつめられる」
「取り集めるのは、四方界に宿り場を許容する、という仕方においてです」
「Cの根本動向は労わること」「労わることは、積極的な…何かを匿ってその本質へ戻してやる時」
- 西尾の解説: 文章中で定義されずに文章中の振る舞いで表現されている「考えること」について、シンボルをそのシンボルが現代において指している意味ではなくその本来の意味に立ち戻ることが「労わる」の一種
- 古語バウエンが建てることとは住むことだと示唆したり、建てるだけでなく作物の世話をする(労わる)ことも意味したりする、という説明をしてからこの話をしている
感想
- 最後まで「これは理解できるのか?」「理解できたとしても有用なのか?」と不安だった
- 最後まで行っても掴みどころがなく、それは残念なので最低限「考えること自体も、建てることと同じ意味で、ただし別の仕方で、住むことに属しています」の意味はわかりたい、と「問い」を立てたらスルスルと解けるように理解できた
- 実際に起きた現象を第三者的に記述すると
- 2日に分けて3時間かけて頭からじっくり読んだ後
- 逆向きに斜め読みして理解した
- じっくり読んだことによって拾うべきところと飛ばして良いところが理解できるようになったか
- Kozanebaの開発に役に立つのかどうかについては微妙
2022-01-13
- 時間を置いてわかってきた
- ハイデガーは労わることの一つの具体的なやり方として単語をその本来の意味に立ち返って他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 僕は労わることの一つの具体的なやり方として、ハイデガーの使った単語を、勝手に解釈しないで他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 辞書的な意味ではなく、ハイデガーが表現しようとした意味
- だからどちらも「労わる=考える」してるわけ
2022-01-14


言語の言い渡しに耳を傾けましょう。
本来的な労わることは、積極的な何かであり、それが生ずるのは、私たちが何かを前もってその本質においてそのままにしておくときです。 つまり、私たちが何かをことさら 匿っ てその本質へ戻してやるときであり、自由にするという語に沿って言えば、囲う(einfrieden)ときなのです。住むこと、平和へと導かれることは、囲いをされて、ダス·フリーエのうちへ、すなわちあらゆるものを労わってその本質を発揮させる自由な広野のうちへ留まる、ということなのです。住むことの根本動向は、そのように労わることなのです。
