from 『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
Kozaneba:『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
長くて一単語ではないフレーズが繰り返し使われている
極めて親切にわかりやすく書いている
nishio: 我々、ものが「ある」と、それが「あり続ける」と暗黙に仮定するが、それは古い物理的な自然の中で育つ間に学習した「世界の仕組みに対するメンタルモデル」に過ぎない。視覚をHMDで覆うことの延長線上にある「五感すべてをデジタルで覆う状態」では、ものが「あり続ける」という前提が成り立たない
nishio: 「『ある』ものは『あり続ける』」などを含む「古い物理世界」の法則は、「新しいデジタルな世界」では成り立つ必要がなく、その世界で生きている未来人の世界観は当然現代人の世界観とは異なると考えるのが自然。例えば物には固定的な実体などなく、必要に応じて現れる物である、とか。
nishio: 現代人の言葉で言えば「VR空間の3Dモデルは、膨大なデータの入ったアセットストアから必要に応じてダウンロードされ、配置されます」であっても、生まれつきデジタルの世界に育った未来人にとっては「個物とは、絶対的存在が多様に分節化して顕現した物であり、固定的実体を持たない」となる
nishio: この「未来人にとって当たり前の世界観」が、実は意外なことに華厳宗における「真空観=すべての個物は固定的実体を持たない」と「理事無礙観=永遠無限絶対の存在である理が自己分節化して多様な個物が顕現する」とほぼイコールである。というわけで計算機上の自然では華厳の世界観になる。
nishio: とここまで考えてからこれを教えてもらった。後者のリンクの「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」における「事事無碍」は、真空感、理事無礙観、の次に来る周遍含容観と対応する概念なので、僕の思考は正しい方向に進んでそうだ
nishio: 正しい方向に進んでるとわかったのでKozaneba修行の続きをやろう
bug fix
なるほど、次の一歩としては現象界に持ち込む必要があるわけね、それが華厳経から華厳宗への変化。
「永遠無限絶対の実在」を、省略したり指示語にしたりせず何度でも繰り返し使う
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/18394/KJ00005090537.pdf
一次元化しないと書けない言語でかかれたものをこざねにして一次元化のための繰り返しを取り除いていくとヘプタポッドの言葉に少し近づく
時間軸が皆無にはならないが
こんな感じで折り畳まれる
例
日常的自己は、分別知のゆえに客体としての世界を主体としての自己に対置する。世界と自己は、二元的に対立する。
自分の言葉で説明してみるテスト
Kozanebaは竹の足場 華厳まとめを書いたらKozaneba:『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成を完成させる気がなくなった
なぜ足場を捨て去ることに抵抗があるか
華厳まとめは「理解の検証のために自分の言葉でまとめ」たもの
ここまでまとめたら納得した
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