NISHIO Hirokazu
[日本語]
[English]
思考の結節点2021-10-28
ワクチン打ち終わったら2年ぶりにビデオ会議ではなくオフラインで開催できるなという話
オンラインとオフラインで何が違うのか?
時間拘束
フルコミット
会話へのエンゲージメント
同じようなことがオンラインでもできるようになるといい
何が足りないのか
エンゲージメントが下がる?
チャットでやりとりしてる時、相手の入力を待ってる間に別のページを見たりしてしまう
対面で対話している時にはスマホゲームを起動したりしない
これは非同期なチャットと同期的な音声対話の比較であって、オンラインのビデオ会議とオフラインの対面会話の比較ではない
出社して違う部署の同僚と話す機会が云々
そもそも「出社して同僚と話す」という前提がTrueとは限らない
僕が出社してもあまり同僚と音声会話してないし、違う部署の人とはもっと話してないから、コロナ化のフルリモートに苦痛を感じにくいのか?
実際、同僚の一部は毎週「おやつ会」というテーマのないミーティングを開催しているが、僕は数回参加してあんまり価値を感じなかったから参加しなくなった
Q: 西尾さんがワクチン打ち終わったら物理的に開催したいと感じるなら、そこに物理開催に対して感じる価値が存在するはず
それは割と明確
会議室に集まる場合、ホワイトボードが使える
家からビデオ会議すると妻が気にする、外に出ればそれがない
今、特にやりたいのは公園を歩き回りながら会話するタイプ
Zoomでやってた時も可能ならやりたかったが歩きたいコースの電波が悪くてダメだった
会わないとコミュニケーションできない自分が、古い人間のように感じて嫌だ
未踏ジュニアでもクリエータに会いに行くメンターがいる
合宿開催に積極的なメンターもいる
予想つくと思うけど僕は自分からはやらない
クリエータの選択肢を減らしてはいけないので、クリエータが「合宿に参加したい」と言えば「どうぞどうぞ」だけど、自分自身の参加に関しては「メンターの手、足りてる?足りてないなら行くけど」ぐらいの感じ
ジュニアクリエータが「オフラインの会なんかいらない、全部オンラインでよい」となると時代が先に進んだ感じがある
いや、それは違うと思う
オンラインで得られる経験と、オフラインで得られる経験は、包含関係にないので「両方をやった時に得られるもの」の方が大きい
学生の時にやっていた国際交流サークルでもオンラインとオフラインをやっていた、オンラインでたくさん交流していてもオフラインで会えるのはうれしかった
オフィスに集合するのは祭りで良いのでは
仕事のためにオフィスに集まった場合、その場にいる人は仕事をしているので話しかけづらい
ならばいっそ年に4回くらいお祭りをやれば良いのでは
その場にいる社員は全員お祭りに来てる
オフラインのコミュニケーションを目的として集合している、という共通コンテキストが生まれる
エモーション全振りイベント
Twitterに発信するのはコミュニケーションか?
コミュニケーションとは…
コミュニケーションを狭義に捉えてる人がいる
対面対話のメタファー
see
発言に意図がある前提
グループウェアに対面対話のメタファーを持ち込む人
「この投稿は誰に宛てたものか」「どう言う反応を期待して書いたのか」
発話は対象に向かって、反応を求めて行うものだという思い込み
Twitterや
分報
特定の相手に話しかけるメタファーではない情報発信をする人が増えている
「Twitterへの投稿は特にリターンを期待していない」か?
その表現は少し違和感がある
期待値としてプラスのリターンは期待しているが、特定の人の特定の反応を期待していない
株式のようなもの、投資
リターンは気にせず、分散の大きさを求めてる?
いや、リターンは気にしてる、株式に例えたのは期待値がプラスだからであって、パチンコには例えない、パチンコは期待値がマイナスだから投資じゃない
これはコミュニケーションではない、何か新しい言葉を割り当てるとよい
情報発信ガチャ
ほとんどの場合ゼロ、低い確率で大きなリターンが変える
低い確率でSSRが出るガチャ
具体的には?→講義資料を公開してから編集者から連絡があって特集記事を書くことになった
最初は「公開しておくと検索でヒットして便利」で公開し始めたが、いくつかレアカードを引いたことでガチャとしての価値を認識したのだと思う
すべての行為はガチャなのでは
本を読むのもゲームをするのも新しいレストランに行くのもガチャ
食器を洗うのはガチャではなさそう
日常の家事で起きる不確実性は大体マイナス
確率分布の形状が違う
「低い確率で大きなプラス」がガチャには重要
ハーズバーグの二要因理論
と同じで、あって当たり前なものと、なくて当たり前のものがある
日本人はガチャが好き
宝くじ、パチンコ
本当か?
個人が株式を買わずに預金しまくる「
リスク恐怖症
」では
パチンコ屋が多く見えるのは駅前にあるからであって、パチンコをやる人が国民の50%以上いるとは思えない
そもそも不確実性を嫌う人が我々の観測範囲に入りにくい、MOTやCUMOTを受けたりしない
二人とも不確実性を嫌う人からは「何をやってる人なんだ?」と思われてそう
「色々やってる人なんですね」と言われがちだが、一つの会社に勤めてる人でも色々な仕事をしてるはず
それは何を同一視して何を違うものと捉えるかの違い
認知の解像度
世間というのは、君じゃないか
家族の一体感
Majority Judgement勉強会
主観
「面白い」からやっている
interestingとfunnyは本当に違うのか
ワクワクする意外性
なのでは
ワクワクする意外性、ガチャでは?
ガチャは「当たったらSSRのアレ」と予想ができる
ので、ワクワクする意外性は無い
同じように当選金が分かっている宝くじも、ワクワクはするものの意外性は無いです。
なるほど、それだと僕の「情報発信ガチャ」も「何が出てくるかは不明」なのでガチャとは違う
意外性を面白いと思う視点
お笑いの面白さも視点の意外性
それは立川さんが「視点に意外性のあるお笑いを面白いと思ってる」ということ
例えば新喜劇とか「いつものパターンがくるぞ、くるぞ、きたーー!!」ってタイプの面白さだと思う
人によって何を面白く感じるかが異なる
人には個人差がある
面白さ、人によって異なる可能性
クオリア
「君にとっての『面白い』は何?」
バラつくのが面白い
自分にとっての「面白さ」に対する認知の解像度は人生の幸福さに強く影響するのではないか
面白さに関する思考
芸人の行う「面白さに関する考察」は「大衆が何を面白いと思うか」
ここで議論したいものは「自分個人が何を面白いと思うか」
「面白い」とは何か?
3年前は「『面白い』とは何かはわからないが、個別具体的な事例に対して、主観的に面白い面白くないを判定することはできる。ならばまず面白いものを集めてみよう」と言う展開をした
「面白い」のKJ法
その結果「
人には個人差がある
」が言語化された
つまり
は人による違いを面白いと思う
は「
人間のバグ
」を面白いと思っていることがわかった
今、改めて「『面白い』とは何か」を考える
その「面白い」とはどのようなものか?
どこから来るのか?
何に繋がるのか?
この問いは時間をかけて取り組む価値がある
それは「面白い」ということ?
面白いけど時間をかけて取り組む価値がないものもある
「面白い時間を過ごすことに価値がある」?
論理的には筋は通るが主観的にしっくりとはこない
当たり前の結論
すごく面白いのに結論を言葉にすると当たり前に聞こえてしまう、なぜ
それは、具体的な事例から抽象化を繰り返して予期せずその結論に結びついた我々にとっては「これがあれに結びつくのか!」という「
意外性
」があるが、結論が出てからその結論を聞かされた人にはその「
意外な結合
」がないからでは
関連
ピラミッドの頂上を取ってきても期待と違う
ボトムアップでないと応用ができない
思考は流れに依存する
文字になった「結論」はある時刻のスナップショットに過ぎない
結論は思考プロセスの断面
そこに至る流れによって、そこからの展開は異なる
という流れのメタファー
(C)NISHIO Hirokazu / Converted from Markdown (ja)
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