from KJ法勉強会@ロフトワーク
川喜田二郎が「情念」という言葉について説明している部分
もっとも注意を要することはなにか。それはたがいに親しいと感ずる紙きれ同士を集めることであって、このさい、「感ずる」という能力がさきに立たなければならない。ところが不慣れな 人は、感ずるという能力よりもさきに、理屈を考えて集めようとする。すなわち 「Aの紙きれと Bの紙きれLは、こういう理由によって一カ所に集めておいたほうがよい」などということを考えるのである。このように理屈がさきにたつと、グループ編成はまず第一歩からして、KJ法とはまったく逆の精神でおこなわれ、みせかけのグループ編成になるのである。
かりに理屈を考えて集める方法を 「理性で考える」とよぼう。これにたいして理性以外の考え る能力を、かりに 「情念で考える」とよぼう。これは心理学的に厳密な用語ではないかもしれな いが、KJ法にとっては根本的に必要とされる区別である。そのようにした場合、情念がさきにたって集めなければならないということである。理性はあとからついてくるものである。...大分けをしてからしだいに小分けにゆこうとする人は、これらの紙きれをあらかじ め三つとか四つに仕分けしたいというアイデアが、仕分けをするまえからあるのである。だから大分けすることができるのだ。これでは新しいものがでてこない。たんに自分の分類の枠を紙きれの群れに課しているにすぎないのである。つまり主人公は自分の既成概念という独断的な枠組みであり、それに紙きれの群れを家来としてしたがえているにすぎない
続・発想法 p.58-60