prev Kozaneba:体験過程と意味の創造
「体験過程と意味の創造」勉強会2
意味や論理的パターンが,シ ンボルと感じられた意味との相互作用の 中で初めて創られるので,シ ンボルと感じられた意味の間の関係は,論理 よりも根本的なものであるということは確かです。だから論理は二次的 なものであり,意味の形成の後でのみ作用するのです.
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けれども,概念の論理的使用(用法)は もっと新しい意味を創る中で感 じられた意味の果す役割から分化されなければならないし,ま た,さ れ得 るのです.
人はいつでも非常に特殊な,巧妙に定義された感じられ た意味に照合しているのであり,その感じられた意味についての可能な シンボル的な意味の多様性は,恣意的なものとは全 く反対であるという ことが示されるのです.
感 じられた意味 のシンボル化が多様であり得る そ れが非常に複雑な決定要因を持っているという事実による シンボル化
感 じられた意味の持つ多くの前概念的な意味のうちのほん の幾つかのものだけがシンボル化され得る
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根本的経験論は論理的パターンの創造に先立ついかなる種類の論理的 パターンも仮定し(考え)よ うとしないでしょう。根本的経験論は前概念 的体 験 過 程 に何 らの概念 的パ ターンを も読 み込 んだ りしないで しょう。(と いうのはこれら自体はシンボルと体験過程の相互作用によって創り出さ れていたからです。)それは,十分に形成され定義された概念や論理的演 繹を存続させるでしょうが,こ れらを新しい意味の創造において働いて いる現に体験している過程と混同したりはしていないのです.
B
p.165-p.201 p.201-p.232
p.170
隠喩は意味とか類似性を創り出すのです.意味が類似性を創り出 したり,逆に類似性が意味を創り出したりするわけではなくて,それらは互いに対等なのです.
これ大事なところ
我々は“ある与えられ特定 《説明》された意味を,そ の論文の中の意味とか役 割の何らかの(関連)面についての(新 しい)種類の方法論的カテゴリーの一つ の実例として考えることによって,人は(新 しい)方法論的カテゴリーを一般化 することができます。"と 述べました。 我々はこれを“それ自身の実例(instance of itself)の原理と名づけて,そ れ自身の実例が“体験過程手順"と しての意味を持っているということを思い出 すことにしましょう。 面 方法論的カテゴリー 体験過程手順
Principle: One may creatively specify new methodological categories by considering any given specified meanings as an instance of a (new) kind of methodological category in any (relevant) aspect of it or its role in the discourse.
原理 何らかの所与の特定 《説明》された意味を,論文におけるそれの,あ るいはその役割のいかなる(関連する)側面においての一つの(新 しい)種類の 方法論的カテゴリーの一つの実例として考察することによって,新 しい方法論的カテゴリーを創造的に特定 《説明》することができること.
(DeepL) 原則 人は、与えられた特定の意味を、それの(関連する)任意の側面や言説におけるその役割において、(新しい)種類の方法論的カテゴリのインスタンスとして考えることによって、新しい方法論的カテゴリを創造的に規定することができる。
“体験過程手順"イ 1毎ゃettC蛇′′ “′′′′りの定義 今述べた用語とは別の“体験過程手順"を特定 《説明》します.つ まり,思考 のある一つの歩みからもう一つ別の歩みへという経験された移行を特定 《明確 に》するのです,そ のような移行を論ずる際に,我々が既に述べたのは(第 IV章, B節,9)思考の移行における体験過程は思考における二つの歩みが(継続した 時間において特定 《明らかに》されるのにもかかわらず)それら二つの歩みが 同時的な側面であるような“一つの"体験過程とみなされるであろうということ でした。
Definition of "experiencing procedure." The terms just mentioned specify different "experiencing procedures," that is, experienced transitions between one step of thought and another. In discussing such transitions, we have already mentioned (Chapter IV, Section B, 9) that the experiencing in a transition in thinking may be viewed as “one" experiencing of which the two steps of thought are simultaneous aspects (although they are specified at successive times).
(DeepL)"経験手順 "の定義。今述べた用語は、異なる「経験手続き」、つまり思考のある段階と別の段階との間の経験された移行を規定している。
このような移行を論じる際、思考の移行における経験は、思考の2つのステップが(連続した時間に指定されるが)同時の側面である「一つの」経験と見なすことができることは、すでに述べた(第IV章、セクションB、9)。
創造的な機能的関係
METAPHOR
“私の恋人は赤い赤いバラのようです"という直喩
これを見たときに心に浮かぶ意味はどのようにして決まるのか
「バラの意味との類似性できまるのか」
作り手の側の話
であるなら、何が意味の創造を決定するのか
不立文字(ふりゅうもんじ)は、禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。不立文字 - Wikipedia
having of concept
二つの危険
Thus, there is a twin danger: either (1) we will take one of these functional relationships as crucial and ignore the fact that felt meaning functions in others , or (2) we will speak of felt meaning as an occurrence altogether apart from such relationships with symbols, which will be quite a questionable thing to talk about. 我々はこれら の機能的関係の一つを決定的なものと思い込んで,感じられた意味が他のもの の中で働いているという事実を無視するかも知れない
第一の危険は よく知ること、 第二の危険 直接照合の可能性に立脚してる
一つだけではなく多様な機能的関係を使えるように、経験された意味の特徴を考察する
無数的特徴
時間的スキーム 物的スキーム プロセス的スキーム
経験の“多スキーム的"性格
muzukasi
たとえば「分化」という用語は、経験たちのなかに、ある一つの「経験たちの構造」があることを暗示している。この構造を、経験の単位についての我々の議論の中で使った。それによって我々は「経験を構造化した」のだ。
specification、「specifyすること」と「specifyした結果として得られたもの」の両方を指す ここでは「得られた物」のほう。動詞resultsが修飾してるから。 訳文で「wereに引用符をつけたのは〜という意味です」と書いておきながら、そのwereは訳されて消えてる あーっ、givenとotherの話をしてるのに原文のotherがしれっと訳から落ちてるじゃないか! つまり、同じシンボルが使われることによって関連を表現しているのに、訳者がシンボルを取りこぼすから関連が接続できなくなってるわけか。 はー「理解」という現象の理解が捗る。
“経験の側面"についての定義
経験は時間を含んでいる
夕食後すごく眠くなったので中断して寝る 舞台に小道具を置いておくことで後からそれを使って演じやすくなる 意味のわからない文章をKozanebaにおいて刻む 各シンボルはフェルトセンスに繋がるかもしれないしつながらないかも知れない 大きいままでは、繋がらない 小さくしている ところどころにフェルトセンスと結びついたシンボルがある
起きてもう少し読んだけど翻訳って大変な仕事だよなぁという気持ち 著者が自分の考え(感じられた意味)を非平行的シンボルで書き表したものを、 単語が一対一対応しない別の言語で表現し直す時 当然シンボルだけを見て機械的に翻訳できない。 理想としては「著者の中にあった感じられた意味を正確に再現して、それからそれを日本語で正確に表現する」が必要なのだけど 自分がシンボル列を見て脳内に作った「感じられた意味」が著者の中にあった物と一致するかどうかの検証は困難
「非平行的シンボルが用いられているから辞書的機械的に翻訳しても微妙な結果になる」 実際にDeepLした結果
twin danger: (1) we will take one of these functional relationships as crucial and ignore the fact that felt meaning functions in others (2) we will speak of felt meaning as an occurrence altogether apart from such relationships with symbol 二重の危険性があります。 (1) これらの機能的関係のうちのひとつを重要視し、フェルトの意味が他の機能で機能するという事実を無視すること。 (2) フェルトの意味を、そのような記号との関係とは全く別のものとして語ってしまうこと。
「felt meaning」を「感じられた意味」いう日本語のシンボルに結びつけることができてない。僕の側が訓練して「フェルトの意味」って文字列で「感じられた意味」と同じ感じられた意味を想起できるようになるか、用語集的な物で訳語を指定するかが必要、DeepLは用語集を指定できるけど、日本語はサポート対象外みたい。
ちなみにこれを僕が訳すとこうなる
2つの表裏一体の危険性がある 1: 前回解説した7つの機能的関係のうち、特定の一つだけを重要視してしまい、「感じられた意味」が残り6つの機能的関係でも機能してるという事実を無視してしまう 2: 「感じられた意味」のことを、シンボルとの間の7つの機能的関係から切り離して、「感じられた意味」単体で議論してしまう
第二の危険を回避するために7つの機能的関係のうちの一つ「直接照合」を使えば良い、なのだけどこれをやることによって「直接照合」という特定の一つだけを重要視してしまい第一の危険にはまる。だからtwin dangerなのだ。two dangersではないのだからこれは「個別の二つの危険」ではなく「一つのコインの裏表」的な関係な訳。
僕の訳文を改めて観察すると、短い原文のシンボル列をには含まれない単語がたくさん混じっている。これはどこからきたのかというと、英文のシンボルを見たときに、前回の勉強会の経験Xが思い起こされ、この文章に対応する「感じられた意味」Yの創造に寄与してる。これは7つのうちの一つRELEVANCEだ。で、その「感じられた意味」を日本語のシンボル列で表現する際に、YだけでなくXの話を補った方が「この部分だけをグループウェア上で読む読者にとってはわかりやすい」と考えてそう行動したわけだ。この「Xの側面をspecifyすること」がCOMPREHENSIONだ、という話が、今回の範囲に出てくる。
シンボルとの間の機能的関係から切り離して「感じられた意味」について語っても意味がない、ってのを別の言葉で表現すると 「モヤモヤ」が存在するよね!とモヤモヤだけに注目してもあまり意味がなくて、モヤモヤがどうやって言葉になるのかとか、言葉がモヤモヤにどのような影響を与えるのか、に注目していく必要があるよね、ということ
「過程」という言葉は個人的にはしっくりこない
開発メモ
3: 意味は類似(LIKENESSES)であり,その逆も真である
右端の描きかたがよかったかも
感じられた意味の間に明確な包含関係はないから
4:関係または諸関係
a creative process is possible in two directions
relata
New aspect
We have seen that in each functional relationship the meanings said to be "already in" an experience are a myraid of specifiable meanings.
私たちは、それぞれの機能関係において、ある経験が「すでにある」とされる意味は、特定可能な意味の寄せ集めであることを見てきた。
We have seen that the meanings said to be already in an experience are a myriad of specifiable meanings.
これまで、体験の中にすでにあるとされる意味は、特定可能な無数の意味であることを見てきた。
とりあえず4章の終わりまで目を通した