Xは当たり前
「Xは当たり前」は
本心派: 本心から「XはTrueだ」と思ってるケース
建前派:「XがTrueだと世の中で当たり前のように言われていることは知っている、しかしそれは建前であって本当にXがTrueなわけがないだろ」と思ってるケース
の二つがある
例
「人は顔じゃない」(外見が人間の価値に占める割合はさほど高くない)
「会社のビジョンに共感」
シチュエーション例
外見に自信がない建前派のAさんが悩んでいる
本音派のBさんが「人は顔じゃない」という
これは「XはTrue」という意味で使っている
建前派のAさんがこれを自分の思考のパターンにはめこんで「XはTrueとされているが実際はFalse」と受け止める
Bさんからすると「XはTrue」と言ったことを「XはFalse」という意味に解釈された上で、そのことで傷つかれたと観測される
「うわっ、めんどくさ」とか「狂人かな?」となる
まあでも容姿に限らず大体の
コンプレックス(
劣等感)って、それを持ってる本人はその尺度を重要だと認識して、持ってない人はさほど気にしてないってのが一般的構図かもな