センの capability approachとケア倫理
1) capability approach(セン)要点
SWBが「感じ方」を測るのに対し、センは幸福や福祉を
人が実際に“できる/なれる”こと(capabilities)
実際に“している/なっている”こと(functionings)
で捉えるべきだと言う。
重要なポイント
資源(income)だけでは不十分
同じ所得でも、障害・差別・治安・家族責任などで「使える自由」が違う。
“適応”問題(adaptive preferences)
不利な状況に慣れると、人は期待を下げて「満足」と答えることがある。
→ SWBはここで誤認しやすい。
だから評価すべきは「満足したか」より、尊厳ある生を送るための実質的自由があるか。
SWB批判のど真ん中に刺さる枠組みです。
2) ケア倫理 要点
ケア倫理(トロント等)は、正義を
自律した個人の権利・選好
ではなく
依存・脆弱性・関係性を前提にした
“世話(care)”の実践と責任の配分
として捉える。
重要なポイント
人間は基本的に相互依存(子育て、介護、病気、障害、老い)。
なのに社会は「自己完結できる個人」を標準に設計しがち。
するとケア負担(多くは女性や周縁化された人々)を不可視化し、苦しみを「個人の能力不足」「メンタルの弱さ」に還元しやすい。
だから問うべきは: 誰がケアしているのか/誰の声が欠けているのか/責任はどう配分されているのか。
3) capability approach × ケア倫理:どこが違う?
A. 見たいものの焦点
セン:自由(できること)の分布
ケア倫理:関係と責任(支えること)の分布
→ どっちも「自己責任化」に反対だが、矛先が少し違う。
B. “個人”の扱い
セン:個人の実質的自由を中心に据える(ただし社会条件で規定される)
ケア倫理:そもそも個人は関係の中で成立する、と強く主張する
→ センは「個人中心を改良」、ケア倫理は「個人中心を相対化」。
C. 指標化しやすさ
セン:指標化・政策化しやすい(教育、健康、移動、政治参加など)
ケア倫理:指標化しにくいが、**政治的に重要な“不可視の労働”**を掬う
4) SWBの自己責任化に対して、何が効く?
capability approach が効くところ
「幸せと答えてるからOK」を崩す(適応の問題)
“自由の欠如”を制度問題として扱える
政策評価に落とし込みやすい(参加機会、学習機会、移動可能性など)
ケア倫理 が効くところ
「幸福は心の持ちよう」を崩す(支えるインフラの問題に戻す)
ケア負担の偏り=権力の偏りを可視化する
“誰の声が欠けているか”を問い、設計(制度・場)へ圧をかける
5) 組み合わせると強い(実務的な使い方)
センだけだと「自由の拡大」には言えるが、
その自由を支える“ケア労働”が見えにくいことがある。
ケア倫理だけだと鋭い批判はできるが、
政策指標や制度設計の評価軸が作りにくいことがある。
なのでセットで:
目標:capabilities(実質的自由)を広げる
条件:care(支え合いの責任配分)を公正にする
という二段構えが強い。
6) 西尾さんの文脈(熟議・場の設計)への翻訳
capability:参加者が 「参加できる」「理解できる」「発言できる」「影響できる」 を確保する
care ethics:そのために必要な 通訳、託児、心理的安全、ファシリ、情報整理 を誰が担い、どう分担するか
つまり熟議の設計は、
自由(capability)を作る設計
ケア(care)を分配する設計
の両方になる。
必要なら次は、同じテーマを 具体例(介護/雇用/オンライン熟議) で比較して、「どんな問い・指標・介入が出るか」まで落とします。どのケースでやる?