NISHIO Hirokazu[Translate]
マサカリ2
2021-10-11
高専生の参加するコンテストにおいて審査員が「私は怒っています」とフィードバックしたことに関する話題

>YoshifumiSeki: なんというか、ああいうコミュニケーションは、10年前ぐらいのエンジニアコミュニティでは「マサカリを投げる」などとして、持て囃されてていた側面があるから、擁護している人もその辺の世代だなーという気持ち。
>YoshifumiSeki: そういう意味では10年前から世の中はものすごく良くなったねぇ

>nishio: いや「マサカリを投げる」を肯定的に使ってた僕から見て、「怒っています」は感情だから「マサカリを投げる」とは別の行為だと感じます。(これがマサカリを投げる行為の例)
>otsune: プログラマの単なる技術的指摘が、非プログラマの文脈では「揚げ足取り」「仕事にケチをつける」「名誉毀損」と受け取られるギャップ現象があるよね。
>というのを造語で表現したのが始まりなので、パワハラだったり怒っていると宣言している発言は明確に別の行為だと言える。
>単に怒っているだけ。

>nishio: 「事実に反する理解は公益のために正されるべきである」を前提として、発表内容の誤りをバンバン指摘するのが「マサカリを投げる」であり、「怒ってる」なんてのに関してはむしろ「それはあなたの主観ですよね?」とつっこむのがマサカリを投げる行為、という認識をしています。
>kazuho: このツイートに「マサカリを投げる」良い点と悪い点の両方が集約されてる気がする。(論者ではなく)議論の内容にフォーカスするのは良い点。そのために心理的安全性の確保を軽視するのが悪い点。今は両方を同時に満たす努力が求められてるんだと思う #自戒メソッド
>anohana: 忌憚なく議論を戦わせるには安全な空間が必要で、コミュニティが小さかった時は空間に入るまでに参加者がフィルタされてたから気にされなかった、ということかもしれない。
>anohana: 演技クラスでは個人のセンシティブなところまで指摘が及ぶことがあり、そこをぼかさずに議論するには場の心理的安全性は極めて重視される。必ず「ここで出た話題はこの場だけに留まる」「指摘は表現に対してであって人格に対してではない」等が事前に全員に対して確認される。Island Life - Don't take it personally
>anohana: ハッカーコミュニティの「マサカリ」はオンラインで見えるので問題がわかりやすいが、心理的安全性の軽視というのは色々な場所、部活とか職場とか、でもずっとあった問題だと思う

>nishio: 発表する側が「どんどんマサカリ投げてね」って言ってる時「どんどん感情的な暴言を吐いてね」という意味ではもちろんないわけです。今の言葉で表現し直すと…「今から私は誤りのない説明をするつもりですが、それでも誤りがあるかもしれないので、気づいたら是非指摘してください」かな。

>nishio: 2年前に「過去に実際にマサカリが肯定的に使われていた事実」をまとめたものがこちらにあります マサカリ

>otsune: 「プログラマがダメなコードを書いた時に他の人が指摘をすること」にまつわる話題。
>なぜかnewbieが稚拙なコードを書いてベテランから叱られる場面ばかりを思い浮かべる人が大半なんだけど、造語の元ネタを観察していた時は「コア開発者であっても忖度されずに痛烈に指摘されている」事例に注目してた
>otsune: プログラミングに関しては、お偉いさんだろうがダメなコードを書いたら指摘されるし、若者であっても正しいことをやればそれが通る。
>その現象が社会の他の現象とは違いがあるよなと着目して2007年に造語したわけで。
>otsune: なぜか造語から派生した表現の「マサカリを投げる」が、元の意味が失われて「プログラマが無礼に辛辣な指摘という攻撃をする」という表層的な意味で使われているらしい。
>それはpatchのフリをしてDISりたい誰かが「これはマサカリです」とシラをきってるだけで、本来の意味とは違うよね。

>otsune 過去にyoshioriが「真のマサカリと、マサカリの振りをしたDISりを区別する用語を作って欲しい」と投稿した時に、俺は「仮に新語を作ったとしてもDISりする人はその新語の振りをしてDISるだけだから永久に区別できないよ」とリプライした。

>tomoyaman: コミュニティ内で「マサカリを投げる」の言葉の定義を誰もしなかったんですか?
>nishio: 定義したのに定義を読まずに違った使い方をする人が出てきて多数派になったんだよ。
>otsune: マジレス気味に説明すると。
>非プログラマの風習(社会の大多数)では面食らうようなpatchのやり取りや指摘の応酬が主にオープンソース開発の場で多数行われていて、その印象ギャップを皮肉ネタとして「ハンドアックスを投げている」と表現したのが始まり。
>今はDISりをマサカリだと言い張る事例も。

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