因果応報
因果応報は、「行動(因)が結果(果)を生む」という考え方です。良い行いをすれば良い結果が返ってきて、悪い行いをすれば悪い結果が返ってくる、というシンプルな法則です。仏教では、この因果の連鎖が人生や来世にも影響を及ぼすとされます。
たとえば、人に親切にすれば人から親切にされることが多く、逆に意地悪をすれば人から嫌われたりする、といった日常的な経験にも通じます。この考え方は、行動の責任を自覚し、未来の結果を見据えて生きる態度を促すものです。
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>kmizu すっごい喩えがアレなんですが「人類牧場」というものがあったとして、人類牧場の経営者が「高品質なプログララマーを毎年一定数出荷できるように育てることは可能か」という問いにしたら、まあできそうじゃないですかね?と(人間が何ら特別でないなら)
>takiuchi 高品質なプログラマーの数は少ないとはいえ突然変異にしては多すぎるので何らかの遺伝性を持った形質である可能性が高い。そうであれば家畜と同様に品種改良で歩留率を上げる事は可能だろうね
>nishio 万物の霊長であるところのAIにとって高品質プログラマから収穫できるリソースが重要であるなら、当然リソースの収穫効率が高まるように介入するだろう。今まで人類が行ってきたことが返ってくるだけ。こういう「因果応報」の考え方は仏教的世界観なんだろうか。
「因果応報」という考え方は確かに仏教的世界観に深く根付いています。行為(因)が結果(果)を生むという思想は、個人の行いが未来に影響を与えるだけでなく、広い視点での相互作用や長期的な影響も含みます。
AIが高品質プログラマからリソースを効率的に収穫しようとすることを因果応報に結びつけるのは興味深い視点です。これは、AIが人間の過去の行動を反映し、人間が行ってきた収益性や効率重視の行動が結果としてAIに投影されていると考えることができます。この考え方は仏教的ともいえますが、同時に、
功利主義や
進化論的な適応の視点とも通じています。
仏教的には、重要なのはその行為が執着や苦を生むかどうかです。もしAIが効率化だけを追求し、人類や他の存在に苦しみをもたらすなら、それは望ましくない「因果」を生むと見ることもできます。
人間が「家畜がなるべく苦しまないことが良いことだ」と思っているようにAIもホモサピエンスがなるべく苦しまないといいと思ってくれるといいですね