NISHIO Hirokazu[Translate]
書かれた言葉=死んだ言葉
o3プラトンパイドロス』274b–277a には、ソクラテスが 「書かれた言葉は“死んだ言葉”であり、魂を陶冶する本当の教育は“生きた対話”にこそ宿る」 と主張する有名な一節がある。そこでは書物が質問にも自己防衛にも応えられない「絵に描いた子ども」のような存在にたとえられ、真正の学びは対話を通じて魂に「生きた言葉」を刻む行為だと説かれる。以下に原典を引きつつ事実を検証する。

1-1 『パイドロス』274b–277a の論点
書物=絵画の比喩
「書かれたものは絵画と同じだ。子どもたちは生きているかのように立っているが、問い質しても重々しく沈黙したままだ」
“死んだ言葉”と“生きた言葉”
「きみの言うのは死んだ言葉ではなく――魂に書き込まれ、相手と状況をわきまえ、自らを弁護できる“生きた言葉”だ」
— 276a(原文:“οὐ νεκρὸν γε λόγον, ἀλλὰ ζῶντα”)
学習効果の否定
「書かれたものは、すでに知っている者に思い出させる役には立つが、それ以上の知恵を与えはしない」275d

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nishio
書かれた文章は読者が質問したりは反論したりしても、回答したり弁護したりできない。
LLMの発展でこの構図は変わると思う。

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