「上には上がいる」は暗黙の一次元化
「生き急ぎ」読み返してみたけどやっぱり自分は生き急いでないと思う

「寿命が縮んでも良いから今これをしたい!」みたいな生き方をしてる
落合陽一と比較すると、まったく生き急いでない
上には上がいるので
落合陽一さんをここで出すのはあまり意味なさそう

いや、その「
上には上がいる」という表現がそもそも二人が同じベクトルの上にいて長さが違うだけ的なメタファーなわけだけども、僕の主観的には彼の生き方を知った上で「自分もそう生きるべきか」を悩んだ上で「違う」生き方を選択した認識なので「同じベクトル」とされること自体に強烈な違和感があるわけ

なるほど、生き急ぐを実践している
落合陽一さんと、そもそもそういう行動をとっていないという

さん、という感じなんですね
