NISHIO Hirokazu[Translate]
「わかってから作る」と「作ってからわかる」
僕はとりあえず作ってみてから段階的にわかっていく側
少しわかる、まだしっかりとはわかってない状態で、もし「作る」側を開始する
作ることによって色々なことがわかる
特に「ここがわかってない」ということがわかる
それを調べるなどして段階的に「わかる範囲」が広がっていく

よくわからないまま作り始めても作ることができる、という自信がある
十分理解しないと作り始められない人が自信なさげに見えるから相対的に自分には自信があるのかもなと思う
「よくわからないまま作ったもの」の品質に対する期待が低いのかもしれない
一発目に作ったものですごいもの、高品質なものができるはずがない、と思っているからこそ「雑なものならよくわからないでも作ることができるだろ」と思っている
雑なものを作っても怒られない、という自信があるのかもしれない
これは子供の時に作ったものの品質に対して親や教師が詰めたかどうかの影響が大きいのではないか
良い質のものを作らなければ怒られる、と子供の時に刷り込まれてしまった人がいる
品質が求められる時はあるが、常にじゃないでしょ、と思っている

逆に「わかってから作る」派の人に対して「十分わかったと思えるときなど来ないのでは?」と思っている
結局「十分」は主観、「作ってからわかる」派の僕も「着手に十分」と思って着手しているとも言える
つまり「十分ライン」の高い低いの話
僕は低いのですぐに着手する、高すぎる人はいつまで経っても着手できない
中くらいの人もいるかもしれない
そういう人は僕よりもっと学んでから着手する


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