NISHIO Hirokazu[Translate]
情報の伝達と情緒の伝達
>BigBrother_Popy 教養はいるだろ
> 教養無い人間と話す内容とか酒・タバコ、ギャンブル、女、テレビ番組が大半だぞ。合わせるこっちも割と地獄だぞ。

>akihiro_koyama これ典型的なASDの思考で、健常者は会話を通じて日々の楽しかった体験などの「感情」を交換してるんだけど、ASDは「知識」の交換が会話だと思ってるので「一般人は酒ギャンブルの話しかしない!」みたいな認知になるんですよね。みんな酒やギャンブルにまつわる悲喜交々の「感情」を交換してるんですが
>akihiro_koyama ちなみに、別にみんな酒ギャンブルにまつわる情報を交換してるわけではないので、例えばロシア文学がいかに好きかとか「感情」を語れば高確率で受け入れてもらえるんですよ。要は「話題の選択」ではなく「会話という文化」を理解してないことが問題の原因。それを他者の教養のせいにすると基本孤立する

>jei_222 精神科医の斎藤環氏も同じ事言ってた事思い出した。
> コミュニケーションとは「情報の伝達」だけではなく、「情報の伝達」と「情緒の伝達」のバランスが大事で「情報の伝達」だけなら子供でもできると。
>
>jei_222 この本は斎藤環さんの「家族の痕跡」です。
> 面白いのでぜひ読んでみてください。

>jei_222 補足ですが、上記の著書内でコミュニケーションに関して下記のように言っています。
> >>コミュニケーションとは「コンテクストを共有すること」である。情報のみを伝達しようとするコミュニケーションはしばしば伝達性が著しく低くなる(続)
>jei_222 逆にコンテクストのみを共有するコミュニケーションは実際には何も伝達されてないのに何か伝わったかのような錯覚を持つことができる。
>
> コンテクスト=文脈の共有が対話においていかに大事かは、東 浩紀氏も過去に言及していたのでご興味ある方は下記のURLからどうぞ。

>akihiro_koyama まぁ、なので、キツい言い方をすると、「あいつらは教養がない!」的なこと言ってコミュニケーションを拒む人たちというのは「物知りな子供」と同レベルの発達段階なんですよね。頭が良いのではなくむしろ逆。幼いと言っていい。
>akihiro_koyama 「おじさんパキケファロサウルス知ってる!?」みたいな感じで、ひたすら自分の知ってる恐竜の名前を聞いてくる親戚の子供とか遭遇したことあるでしょ。コミュニケーション様式があれから脱せてないんですよね。

>piyoketa (軽度の)ASD傾向の人、「コミュニケーションを情報交換だと勘違いしている」というより、「他者とのコミュニケーション全般にうっすらと恐怖/苦手意識があるが、例外的に情報交換的コミュニケーションだけはポジティブにできる」というケースもあると思います
>piyoketa 一般人にとってはコミュニケーションは情報交換ではない、というのはその通りなんだけど、じゃあ情報交換を辞めさせたら「まともなコミュニケーション」をするわけではない(むしろ他者とのコミュニケーション全般を諦める方向に進む)ので、まあそこまで批判しなくてもいいんじゃないでしょうか
>piyoketa 君たちにとってのカラオケが俺たちにとっての情報交換なんだ、よろしくな
>piyoketa つまり「自分の文化圏だと情報交換的コミュニケーションの方が感情交換より楽しいものとされているから、皆もそうだと思っている」というケースも一定存在するため、「ASD傾向の人間は他者の気持ちを慮れないから情報交換的コミュニケーションをしてる」という見方は一面的だと思います

久しぶりにあったら「最近何やってる?」と聞いて「最近新しく獲得した情報」を交換する
学ばない人との会話が面白くない、情報のアップデートがないから

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