NISHIO Hirokazu[Translate]
日記2025-10-16

TTTCが分析と可視化の抱き合わせだったので広聴AIも同じスタイルになってしまっている
しかし、本質的には入力を受け取って分析結果のJSONを出すところと、可視化の部分とは分離できるはず

分析サーバ(今コンテナとしてはapi、コードとしてはserverと呼ばれている曖昧な存在)
これの分析の部分の入出力にシームを作ってそこをテストケースで押さえて入出力の契約を明確化する
この「契約」はプログラミングにおける「契約による設計」の文脈

これによってアルゴリズム部分の差し替えができる
他のアルゴリズムで作ったデータが契約を満たしてることを確認して配置すれば下段の可視化はそのまま使える
むしろ可視化部分の差し替えができることのほうが有用か?

インターフェイスを固定していいのか?
インターフェイスを固定するということは変化の可能性を殺すことだ

いどばたシステム
自由記述のアンケートはAIインタビュアーが存在しなかった時代の古い仕組み

「AIインタビュアーは素晴らしい発明だ、既存のアンケート調査を陳腐化する」と思ってたら更に素晴らしい発明が生まれてきた

インターフェイスを固定していたらこれは生まれなかった
インターフェイスを明確化、固定化、標準化しようとするのはLLM以前のプログラミングにおける慣習であり、LLM以降には有害な因習になるのではないか?

反論
インターフェイスが言語化されていない状況は摩擦が大きい
言語化されて明確化されていれば「何が食い違っているか」を議論しやすくなる
契約は契約以上の事をすることを妨げるわけではない

反論
具体的なニーズなしに抽象的な思考で進むべきではない

目的と手段
文脈: 広聴AIで市の実証実験企画に応募しようかと考えている人の話
目的のために広聴AIが手段として適切とは限らない
「デジタル民主主義的なことをやりたい」が目的なのであればAIあんのをフォークしてAI市長をやるとかでもいい
これは映えるし日本初の事例だからメディア受けすると思う
「広聴AIを普及させたい」なら「広聴AIが役に立ちそうなところ」を探さねばならない

「広聴AIでより良くインサイトを得るためには?」
問いが間違ってる可能性
「より良くインサイトを得る」が目的なら、手段を広聴AIに限定するのは視野狭窄
暗黙に「広聴AIで」という制約が入っている

個人的な具体的ニーズ
「広聴AIでより良くインサイトを得る」ことのインセンティブがないんだよな
広聴AIに限定する理由がないので
Jigsaw Sensemakerに詳しくなることにはインセンティブがある
詳しくなった後で「広聴AIにも似た機能をつけてみよう」となる可能性はある
コメントを取得して広聴AIするだけでは面白くない
AIがYouTubeのコメント欄に投稿したらいいのでは?
これも「広聴AI」は手段に過ぎない
目的としてはこのYouTubeチャンネルが盛り上がって欲しい

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