自分は主人公ではない型思考
> 自分が...主人公だと本気で信じているのでは?
> 人間ってみんなそう思っているんじゃないの!?(びっくり)
こういうのを「すごいぜ」となるのが正直よくわからない
事実:
これらの事実から「
自分が主人公だ」と思うわけなのだが、逆に「自分は主人公ではない」と思ってる人はいったいどういう世界観なのか説明してほしい
どっちの公理を採用しても矛盾なく世界の解釈ができる

確かに、あなたが指摘したように、全ての人は自分自身の行動をコントロールでき、自分の視点からしか世界を観察できないので、自分自身が「主人公」であるという感覚を持つことは自然なことかもしれません。しかし、このことが「すごいぜ」と言われる理由は、島本先生がそのような
普遍的な事実を
はっきりと言葉にしたこと、そしてそれを通じて人間の認識や自己認識について深く考えるきっかけを与えてくれたからかもしれません。
あー、なるほど

一方、「自分は主人公ではない」と思っている人々の世界観については、人によって異なるでしょうが、おそらく次のような考え方があるかもしれません:
他者中心的な視点: 一部の人々は、他人の生活や状況を強く意識し、自分自身を他人と比較したり、他人の期待に応えようと努力したりします。彼らは自分が主人公ではなく、他人が主人公であると感じることがあります。
これは不幸だと思う

大きな全体の一部としての自己視点: また、一部の人々は、自分が大きな集団や社会全体の一部であり、その動きの一部であると感じるかもしれません。彼らは自分自身が主人公ではなく、大きな全体の一部としての役割を演じていると感じることがあります。
運命や偶然による視点: また、一部の人々は、自分の人生が運命や偶然によって大きく動かされていると感じるかもしれません。彼らは自分が主人公ではなく、大きな物語の中で偶然に動かされる一部であると感じることがあります。
これに関しては「自分が主人公のストーリー」で偶然が起きるのと「大きな物語」で偶然が起きることに差はないように思う

観測事実として偶然に発生する物事をどう主観的に解釈するかの違い
偶然良いことがあった時に「自分が主人公なので幸運である」と解釈するか「神が自分に役目を果たさせるために」と解釈するかの違い
「神が自分を神の目的を果たすための歯車として選択した」というのと「自分が主人公である」というのに表現の違い程度の差しか感じないけど、それは僕がこの差を重視してないだけの話で、重視してる人にとっては大きな差なのだろうな
このような視点を持つ人々は、「自分は主人公ではない」という感覚を持つかもしれません。ただし、これらの視点が「自分が主人公である」という視点と相反するわけではなく、むしろそれぞれの視点が相互補完的であると考えることもできます。