デカルトといえば、合理主義的哲学の元祖である。しかし彼の『省察録』Meditationes などを読んでも、すぐ気附くことは、その考え方の直感的なことである。単に概念的論理的でない。直感的に訴えるものがあるのである。パスカルの語を借りていえば、単に l'esprit de géométrie[幾何学の精神]でなくて、l'esprit de finesse[繊細の精神]というものがあると思う。フランス哲学の特色は後者にある。同じデカルトの流を汲んだ人でも、マールブランシュとスピノザとを比べて見れば、思半おもいなかばに過ぐるものがあるであろう。
元来芸術的と考えられるフランス人は感覚的なものによって思索するということができる。感覚的なものの内に深い思想を見るのである。フランス語の「サンス」 sens という語は他の国語に訳し難い意味を有っている。それは「センス」sense でもない、「ジン」 Sinnでもない。マールブランシュはいうまでもなく、デカルトにすらそれがあると思われる。しかし私はフランス哲学独得な内感的哲学の基礎はパスカルによって置かれたかに思う。その「心によっての知」 connaissancepar coeur は「サン・アンチーム」sens intime[内奥感、内密感、内親感]としてメーン・ドゥ・ビランの哲学を構成し、遂にベルグソンの純粋持続にまで到ったと考えることができる。メーン・ドゥ・ビランはパスカルが賞讚するといった ceux qui cherchent en gémissant[うめきながら探求する者]というような哲学者であった。
京都へ来た初頃には、私は大にベルグソンに共鳴していた。私が始めてベルグソンを知ったのは、まだ四高にいた頃であった。その頃はベルグソンという名は、まだ世の中に知られていない頃であって、私もその如何なる人かを知らなかった。ただその頃私は純粋経験という考を中心として考えていたので、 Sur les données immédiates de la conscience.[『意識に直接与えられているものについての試論』(岩波文庫版書名は『時間と自由』)]という書名に誘われたのである。しかし最初にベルグソンの精神を掴んだのは、独訳の Einführung in die Metaphysik[『形而上学入門』]であった。
またどういう機会からであったか、今は思い出せないが、私は早くからメーン・ドゥ・ビランに非常に興味を有っていた。しかし彼自身の著書を手に入れることは、困難であった。京都大学へ来てから、学校へ、ナヴィルの出版した Oeuvres inédites de Maine de Biran[『メーヌ・ド・ビラン未刊行著作集』]を購入することができたので、晩年の Fondements de la psychologie[『心理学の基礎』]や Anthropologie[『人間学新論』の略称]などを読むことができた。今でも私は時に J'agis, jeveux, donc je suis[我行為す、我意志す、故に我あり]などいう語を引用することがある。しかしクーザンの出版したものは、遂に手に入れることができなかった。従って受働的習慣と能働的習慣との区別を論じた有名な最初の論文などは、近頃ティスセランの出版の全集が出るまでは読むことができなかった。能働的習慣と受働的習慣との区別の如きは面白い洞察と思う。コンディヤックの感覚論から出でて、その立場を守りながらかえって主意主義的な理想主義的な立場に行ったのである。私はこういう所に、サン・アンチームの哲学独得の、ドイツやイギリスの哲学と異なったものがあると思うのである。習慣という如きことは、普通は、哲学的に重要な役目を有つとは考えられないのであるが、ラヴェッソンなどの哲学においては、習慣というものが世界観の根本的な役目をしている。ラヴェッソンはシェリングの影響を受けたというが、シェリングの同一が、メーン・ドゥ・ビランの影響によって、ラヴェッソンにおいて習慣となったと考えられるのは面白い。如何に同様な考え方がドイツとフランスとによって異なるかが分る。ロックの経験論の影響を受けたコンディヤックの流からメーン・ドゥ・ビランなどが出たのも同様である。無論、コンディヤックの感覚というのが、既にロックなどの感覚というものと同一のものでなかったかも知れない。
フランス哲学で合理主義といっても、単に概念的でない。デカルトが clare et distincte[明晰判明]という所に、既に視覚的なものがある。優れたフランスの思想家の書いたものには、ショペンハウエルが深くて明徹なスウィスの湖水に喩たとえたようなものが感ぜられる。私はアンリ・ポアンカレのものなどにそういうものを感ずるのである。