NISHIO Hirokazu[Translate]
十牛図入門
十牛図入門―「新しい自分」への道

唯識思想の観点からアプローチする
唯識思想とは自分自身と向き合うことを徹底的に考える

自己究明
生死解決
他者救済
自分を軽くする

廓庵禅師(かくあんぜんじ)
十牛図創案
北宋時代

唯識思想
もヨーガの一種
唯だ識のみが存在する
心だけがあるのでヨーガをして心を浄化すれば迷いから悟りに至る
玄奘三蔵が中国にもたらした
奈良時代に日本に伝えられた

阿頼耶識=一切種子識(いっさいしゅうじしき)

著者は観想十牛図の発案者
>上に掲げた図は「観想十牛図」と題して、私の発案・監修のもと、画人・増野充洋氏に十年の歳月をかけて作成してもらったものです。

ますます鮮明になっていく「新しい自分」
なに(存在)からいかに(当為)へ p.59
西田幾多郎
トルストイ
存在から当為へ
SeinからSollen

自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)
=新しい自分
法=存在の諸要素→教え→真理
自己を深層から変革する
正聞熏習(しょうもんくんじゅう) p.77

非有非無(ひうひむ) p.80
死後は非常非断
>大経云,仏性者,非有非無,非因非果,非內非外,非常非断等。」(p. 44, a4-6.崔 p. 339)とある。原文は,『南本涅槃経』巻第二十五,師子吼菩薩品,「仏性者,亦色 非色非色非非色,亦相非相非相非非相,亦一非一非一非非一,非常非断非非常非非断, 亦有亦無非有非無,亦尽非尽非尽非非尽,亦因亦果非因非果,亦義非義非義非非義, 亦字非字非字非 非字。」(T12, no. 375, p. 770, b20-25)を参照。--- PDF
↔有無相対的思考

勝義諦(しょうぎたい)・世俗諦(せぞくたい)

綱=念
明記不忘(みょうきふもう)
明らかに記して忘れない
意識

飼い慣らす
反逆しなくなる
一切種子識(いっさいしゅうじしき)
種が焼き尽くされれば芽生えない
三輪清浄(さんりんしょうじょう)の無分別智
やった人、された人、行為、の3つを区別しない
>①施者(布施する者、能施)、②受者(布施を受ける者、所施)、③施物(布施されるもの)の三者に固執観念のないこと。
自分と現象を分けない

知る

流れ
偽りの自分の否定
新しい自分の獲得
新しい自分の否定
真の自分の獲得
真の自分の否定
人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)
不生不死(ふしょうふし)
生死解決
忘牛存人の状態で悦にいると逆戻りしてしまう
という話が他の本に書かれてたと井戸端で見た
同じことが書いてある
そういうエゴを焼き尽くさなければならない

人牛倶忘(にんぎゅうくぼう)
空とは
思うことも語ることもできない
不可言説(ふかげんせつ)
言亡慮絶(ごんもうりょぜつ)
存在するのは他の力だけであって自分は存在しない
道元 仏道をならふ〜 p.161
>「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心(しんじん)および他己(たこ)の身心をして脱落(だつらく)せしむるなり。」 --- 『正法眼蔵』 「現成公案げんじょうこうあん」巻

自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)
本源に還った
魂のルフランを連想したnishio
自然
しぜん: 明治以降にnatureの訳語として当てた
じねん
おのずからしかり
無為自然(むいじねん)
自然法爾(じねんほうに)
所知障(しょちしょう)
知るべきもの(真如)を知ることを妨げている
真如=空
真如を知ることを妨げる
言葉によって語られた「もの」が妨げる
「もの」を否定することを繰り返していく
我執: 自分への執着
法執: 「もの」への執着
唯識思想の自然観
各人の心の外に「木」は存在しない
>カントが自分の認識論上の立場を特徴づけた言葉。主観は対象に従いそれを映すとする従来の考え方を逆転させ、対象が主観に従い、主観の先天的な形式によって構成されると主張して、これを天動説に対して、地動説を主張したコペルニクスの立場になぞらえた。
識(心)だけがあって、境(物)はない
唯心nishio
>ゆい‐しん【唯心】 すべての存在は心の現れであって、ただ心だけが存在するということ。 華厳経の中心思想。
この思想に対する批判に対して反論したのが世親唯識二十論
心内の影像を、心外の実境と考えるところに迷いと苦しみが生まれる
法執: ものへの執着」が苦しみを生むわけだnishio

入鄽垂手(にってんすいしゅ)
他者救済の実践行
童子は迷える凡夫
牧人は菩薩
仏陀が悟る前に他者救済をしてたフェーズ
唯識思想に入って「菩薩道」「菩薩行」
ぼーだいさった
悟りを求める人
智慧を得ようとする生き方
>じょうぐぼだい【上求菩提】
>菩薩ぼさつが、さらに高みを求め、悟りの境地へと向かうこと。 仏教のことばで、菩薩のとるべき道とされる。 「上求」は、さらに上の境地を求めること。 「菩提」は、煩悩ぼんのうを捨てた智恵ちえと悟りの境地のこと。
慈悲を実践しようとする生き方
>下化衆生 げけしゅじょう
>生を受けたものすべてを教化し救済すること。菩薩が利他の行として行なうもの。
智慧を得て、慈悲行を展開
あらゆることを自分を勘定に入れずに〜そういうものに私はなりたい
蝋燭のたとえ
蝋燭本体がエゴ
光が智慧、暖かさが慈悲
燃え尽きて無くなるようにエゴを燃やし尽くして死ぬ

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