NISHIO Hirokazu[Translate]
サイコパスとマインドフルネス
>tokoroten 葬送のフリーレン(9)読了
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> 相変わらずいい表情するなぁ
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>tokoroten この漫画読み返してみて分かったんだが、作品の根底にあるのがマインドフルネスっぽいな
> 変えられない過去によって後悔する、悩み苦しむという無益な行動をするのではなく、
> 変えられない過去をもとに今を生きる
> という描かれ方が徹底している

>tokoroten エルフのフリーレンはともかく、人間も軒並みマインドフルネス思考なんだわ
> 変えられない過去に縛られているひとがマジで存在しない(ザインが登場時に村に留まろうとしたくらいか?)
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> この視点からフリーレンを読み直すと、くっそ面白いな

>tokoroten 一級魔法使いの試験なんかマインドフルネスのいい例で、
> チーム戦は他人を信頼すれど期待することはなく、他人を変えようとはけっしてしない(他人は変えられるものではないから)
> 加えて、敗れた者がそれを悔いている様子がマジで一切ない、仕方がない、自分が弱かった、という認知になってる

>tokoroten 葬送のフリーレンがスゴイのは、サイコパスとマインドフルネスは表裏一体というのを完璧に描ききっていることだと思う
> 「過去に囚われない、今を生きる」という点においてはどちらも全く変わらない

>tokoroten 葬送のフリーレン、痛みに対する生体反応でさえ、無益であるとして、ノーリアクションのシーンだらけなんだよな
> 痛いと騒いだところで何も有益ではないから
>
> 全登場人物が自分自身をコマとして見ているという、凄まじいマインドフルネス(サイコパス)な作品だよ、まじで

>tokoroten 現代の物語において、過去に囚われた人物をトリックスターにして話を進めるのは、もはや不快でしかないのかもしれない
> コスパの悪い生き方をしている愚か者にしか見えない
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> コスパのいい生き方=マインドフルネス、サイコパス
> となってるような感じがする

>tokoroten フリーレン、1巻から9巻まで読み返した
> やっぱりマインドフルネスが全登場人物の思考のベースになっているわ
> 「過去に囚われずに今を生きる」
> 「『痛み』とは体が感じている反応に過ぎず、『痛み』に反応しても無益、『痛み』を観察しているもう一つ上の自分は『痛く』ない」

>tokoroten 例えば6巻このページ、本来フェルンは怒るべきだが、フェルンは怒っても無益だと悟っているので、「それは良かった」という反応になる
> 怒りという感情に囚われてることが無益であるというマインドフルネスの訓練を積んでないと、普通はこうはならない
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>tokoroten 「『痛み』とは体が感じている反応に過ぎず、『痛み』に反応しても無益、『痛み』を観察しているもう一つ上の自分は『痛く』ない」
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> これは、RPG的な世界感がベースだからかなぁ、キャラクターのヒットポイントが減っただけだ、それを観察している「プレイヤー」は痛くない
> っていう構造

>tokoroten あー、この作品は「老い」でさえ、マインドフルネスの対象なんだな
> 自分が老いることは変えられないことであり、老いに囚われて苦しんでも無益である、と全員が悟りきっている
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> それを1話から突き付けているんだな
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