NISHIO Hirokazu[Translate]
社会ジェンガ
>sitasimiyasui ジェンガは「引き抜いても山が崩れないパーツ」を見抜いてそれを抜き取っていくゲームだけど、キリスト教から「キリスト」を引き抜いてみたら別に大丈夫だった結果生まれたのが資本主義ですね。

>Maguro_Kana 権力構造から、それを保障する権威を取り除いても構造は維持される
> なぜなら狂人以外は権威が存在するかのように振る舞うから......
> これをジェンガに喩えるのは面白い
>Maguro_Kana いやまあ、本当に構造は維持されてるの?ゆっくりと崩れているんだけれどそれに気が付けてないだけじゃない?と聞かれたら、それは分からん

GPT5
この一連の発言は、だいたい次の3つを「ジェンガ」の比喩で言っています。
1) 「抜いても崩れない部材」がある(=中核っぽいものが実は荷重を担ってない)
ジェンガは“抜いたら崩れる部材”と“抜いても意外と持つ部材”がある。社会制度や思想も同じで、
理念・神話・権威(正当化)が「中心に見える」のに
実際には 制度・慣習・利害・技術・インフラ が荷重を支えていて
“中心っぽいもの”を抜いても、しばらくは形が保たれる
という直観。

2) 「キリスト教からキリストを抜いても大丈夫だった→資本主義」って何を言いたいか
ここは厳密な歴史命題というより、挑発的な圧縮です。言いたいことはたぶん:
近代化・世俗化で 信仰としてのキリスト が弱まっても
それまでキリスト教社会が作った 規律・勤勉・契約観・罪責/良心・時間管理・文字文化・組織運営 みたいな“生活様式”や制度が残り
その上に 市場・利潤・投資 が乗って、結果として資本主義が回った
要するに「宗教の“意味づけ”が薄れても、宗教が作った“型(制度・行動様式)”は残りうる」という話です。
(ただし資本主義の成立原因をキリスト教の変形だけで説明するのは雑で、反論も大量にあります。)
nishio「プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と関連づけて論じて
GPT5かなりウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の核心(しかも終盤の苦い結論)と噛み合います。
1) 「キリストを抜いても資本主義が残る」=“宗教的な動機”が消えても“行為の型”が自律して残る
ウェーバーの筋書きはざっくりこうです。
カルヴァン派の予定説は「自分が救われる側か分からない」という不安を生む
その不安が、天職(calling / Beruf)に禁欲的にコミットし続ける倫理(世俗内禁欲)へ“流し込まれる”
結果として、享楽を避けつつ勤勉・節制で利潤を再投資し、資本蓄積が加速する (Encyclopedia Britannica)
重要なのはここからで、ウェーバーは「この倫理が近代資本主義の“火種”になったが、ひとたび成立した資本主義は、もはや宗教的支えを必要としない」と書きます。つまり“キリスト(救済の物語)”が弱まっても、機械的な経済秩序が残り、天職への「義務」が“死んだ宗教の亡霊”みたいに徘徊する、と。(gpde.direito.ufmg.br)
→ これが、ツイートの「中心を抜いても塔が立ってる」感と直結です。

2) 「権威がなくても、あるかのように振る舞う」=内面化された“天職の義務”と世俗化した資本主義精神
2本目ツイートの「狂人以外は権威があるように振る舞う」は、ウェーバー風に言うと、
宗教が直接命じなくても、勤勉・節制・効率が「善いもの/当然のもの」として内面化される (Encyclopedia Britannica)
その“精神”が、宗教と直接関係のない文書(例:ベンジャミン・フランクリンの「time is money」)にまで“純化”して現れる (gpde.direito.ufmg.br)
ここでの「権威」は、神学そのものというより、天職=義務という規範(+それが作る信頼・信用・規律)に置き換わっている、と見ると分かりやすいです。

3) 「本当に維持? ゆっくり崩れてるのでは」=ウェーバーの“鉄の檻”と未来の不確実性
3本目の疑問も、実はウェーバー自身が近い不気味さを残しています。
彼は、ピューリタンが“自発的に”天職で働いたのに対し、近代人は「鉄の檻」の中で“強制されて”働く、とし、未来についても「新しい預言者か、古い理念の再生か、機械化した硬直化か…」と不確実なまま置きます。(gpde.direito.ufmg.br)
なのでツイート列をウェーバーでまとめると、
短期:正当化(キリスト/権威)を弱めても、行為の型(天職倫理・規律・制度)は回る
長期:しかしそれは“安定”というより、意味が剥落していく「鉄の檻」化/別の理念への再編のどちらかに向かい得る
…という論点になります。

3) 「権威を抜いても構造が維持される。人は権威があるかのように振る舞う」
ここが2つ目のツイートのコアで、メカニズムはわりと分解できます。
協調の均衡:
みんなが「あるものとして扱う」限り、それは“ある”のと同じに機能する(お金・肩書・会社のルール・学歴など)。
内面化:
監視者がいなくても自分で自分を律する(「そういうものだ」「逆らうと損」)。
慣性・コスト:
変えるのは面倒でリスクがあるので、惰性で維持される。
代替正当化への置換:
神の権威が弱まっても、「国家」「科学」「市場」「法」「人権」みたいな別の権威が穴埋めすることがある。
なので「権威を取り除いても、しばらく構造は回る」は十分あり得る。

4) でも本当に維持?「ゆっくり崩れてるだけ」問題
3つ目のツイートが良いツッコミで、ここがジェンガ比喩のいちばん大事な副作用です。
ジェンガは 即崩れる か 永遠に安定 の2択じゃなくて、
見た目は立ってるけど“余裕(マージン)”が減ってる 状態がある。
社会も、正当性が抜けると
取り締まり・監視・説明コストが増える
不満・逸脱が増える
代替の正当化(別の物語)を探し始める
みたいに「維持はできるが高くつく」フェーズに入りやすい。
だから結論は「短期には保つことがある/長期には別形態に再編されることもある」で、ツイートの「それは分からん」は割と誠実です。

この比喩をもう一段だけ精密にすると、問うているのはたぶんこれです:
“中心”だと思っていたものは、実は荷重部材ではなく“飾り(正当化の看板)”だったのか?
それとも、今は立って見えるだけで、内部の応力が増えていて、臨界点が近いのか?

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