NISHIO Hirokazu[Translate]
クリムト展
2019-05-09に行ってきた
猫好きおじさん
キンキラキンの官能的な女性の絵とのギャップが面白い

ウィーン
クリムト 1862 - 1918

日本文化が紹介され大きなブームになる ジャポニスム - Wikipedia
1891 クリムト、金屏風風の額縁を作る
日中韓の芸術コレクションや、浮世絵・春画のスケッチが存在している

クノップフ(1858 - 1921)の影響を受けている
>1898年3月、クノップフは21作品をウィーン分離派による第1回分離派展に出品し、大きな称賛を得た。この時にクノップフの作品はグスタフ・クリムトに影響を与えたといわれている。
40歳ごろのクノップフの作品を見て35歳ぐらいのクリムトが「ええやん」ってなった
この時期に書いていた「ヘレーネ・クリムトの肖像」は6歳の姪の絵

「女の子かわいいやん」「金屏風かっこいいやん」「クノップフ、エロいやん」→合体!
1899 ヌーダ・ヴェリタス(=裸の真実)
手に持っているのは真実を写す鏡
頭の上の部分にシラーの詩の一片が引用されている、これがなかなかクール

1901 ユディトI
画面の右下にあるのは男の生首
旧約聖書外典『ユディト記』由来

この辺りの作品が攻撃的な性格なのはこういう背景:
>世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのはクンストラーハウス(kunstlerhaus)という芸術家団体であった。ウィーンの美術界は印象派の影響もほとんど見られず保守的であった(中略)1897年、クンストラーハウスの保守性に不満を持つ若手芸術家らはクリムトを中心に造形美術協会を結成した。クンストラーハウスがこれを認めなかったため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退した。
"DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT"
「時代にはその時代にふさわしい芸術を、芸術には自由を」

ベートーベン・フリーズ
ベートーベンの交響曲第9番
日本だと年末の風物詩
第4楽章が合唱
歌詞にはシラーの詩『歓喜に寄す』が使われた
ベートーベンがこの詩を見て、曲をつけた
初演は1824、ウィーンで行われた
ベートーベン・フリーズはこの曲に絵をつけたコの字状の壁画
このシーンは第4楽章の合唱に対応している

その後の話
モデルが子供を産んで、グスタフと名付け、別のモデルが子供を産んで、それにもグスタフと名付ける
子供がたくさんいるけど生涯独身
望遠鏡で湖の向こうの家を見ながら風景画を描く
Emilie Louise Flöge - Wikipediaの名前を呼びながら死ぬ

余談
クリムト展を見てきたがミュージアムショップにある「東京回路線図」がPCB基盤で東京の複雑な路線図を表現した上でiPhoneからの電波で発電昇圧してLEDが光るという衝撃的な作品に心を激しく揺さぶられた(クリムト関係ない)

"Engineer's way of creating knowledge" the English version of my book is now available on [Engineer's way of creating knowledge]

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