NISHIO Hirokazu[Translate]
俺でもできる型思考
>「お前のやってる研究なんか俺でもできるわ」という言葉への返答、「でも君はやらないのでしょう?」では駄目だろうか。
>天才的な能力がなくとも人類の知的営為に参加・貢献できるのが現代の制度化された学問の強みなので、適当な訓練を積めば誰でもできるような研究を行っていることは恥ずべきことでは全くないと思う。
>ikenokenji「そりゃお前のやってる研究などやる価値無いからな。」とでも返されて終わりでしょう。


AさんがBさんに「俺でもできる」と言う場合、
Aさんが本当にできる/Aさんはできると思っているだけ
Bさんは成果を出している/成果を出していない
の2軸がある

「私はXをできる」と主張する時、往々にして「私はXをできると思っている」に過ぎない。
それは主観的解釈であって、実際にやって見て成果を出すまで事実かどうかわからない。
Aさんは根拠に乏しい主張をしているだけなのでまともに取り合う必要はない。立証責任はAさんにある。
行為によって証明されなければならない

仮にAさんが「できる」のが傍証などからかなり確実だとする。
事実としてBさんが先にやって成果を出した場合、できるのにやらなかったAさんが対価を得ないのは当然のこと。
Aさんの嫉妬に付き合う必要はない。

Aさんが出来て、Bさんがまだ成果を出してないとき
急いで成果を出す必要がある。不毛な議論をしている場合ではない。

よってどのケースでもこの会話は不毛なので速やかに離脱することが好ましい。


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