NISHIO Hirokazu[Translate]
法然
Fable
「法(ダルマ)として、当然に・おのずから、そうである」という副詞的な語です。
同義語は法爾(ほうに)で、「法爾自然(ほうにじねん)」という熟語がよく使われます。
「誰かが作ったからでも、原因があって結果として生じたからでもなく、ものごとの本性上ひとりでにそうなっている」という意味です。

だから「遠離因果法然具」は:
遠離因果因果を遠く離れて——「修行(因)を積んだから悟り(果)が生じる」という因果の枠組みの外で
法然具=法然に具わる——本性上おのずから、はじめから具わっている

つまり「仏性は修行の成果として製造されるものではなく、もともと自然に具わっている」——本覚思想の核心を、この一句が一番強い形で言っています。「戦いは仏性を作るためでなく顕すための方法」という先ほどの話の、経文側の根拠がこの句です。

ちなみに浄土宗法然上人の名はこの語(法爾自然・法然道理)に由来するとされるので、無関係ではなく語としては同源です。親鸞の「自然法爾(じねんほうに)」も同じ語彙圏。順序としては仏教語「法然」が先にあり、人名が後です。

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