心象の形式的表現
現実の世界=4章 無自覚な状態、コンテクストと形の間の複雑な相互作用、人間はデザインをしていない
個人的には「
心象」と言う言葉を使いがち

F2は設計図やアイデアメモなど、あとで形を作り出すもの
コンテクストの心像C2はしばしば間違っている
コンテクストの心像C2がしばしば間違っているという問題を解決するために、C2をさらに抽象的な構造上の性質だけを残したC3に抽象化すれば良い、と彼は考えた。これは納得できる。
このC3に彼は
集合論を持ってきたが、そのチョイスが妥当かどうかは疑問
だがまあ、デザイナーの仕事に集合論を使うことが有益であると考える人が少ない状況において、その有用性を語る必要があったわけだ
この「
集合」という視点でデザインの仕事を考えていく過程で、彼は「暗黙に
ツリーだと思っていたものが
セミラチスなのでは」と考えるようになるわけだ。
英語版
2026-08-10 「心の中の像の姿」という日本語訳はどうなのか?
formalのニュアンスが消えている
心象の形式的表現というイメージ
まあでも「形式」も一般的な用語ではないか

原文での formal の意味
直後の説明でアレグザンダーは、C3を単にもう一つの像とはしていません。
まずC2について、
デザイナーは頭の中の像にもとづいて作業する
しかしその像はほとんど常に間違っている
と述べます。その対策として、
最初の問題像をもう一度抽象化する
偏りを除き、抽象的な構造上の特徴だけを残す
厳密に定義された操作によって検討できるようにする
という第二の像を導入しています。さらにC3を明示的に “this mathematical picture” と呼び、F3についても “an orderly complex of diagrams” と呼んでいます。つまりC3–F3は、心像を数学的・明示的なモデルへ移した層です。
したがって、formal picture=像の「姿」ではなく、formal picture=形式化された表現、形式モデルと読むべきです。
だよねえ

2026-08-10