>デステュット・ド・トラシーが自由放任ドクトリンを支持したことは、ナポレオン・ボナパルトの逆鱗に触れた。1806 年に Commentaires の印刷を禁止されたデステュット・ド・トラシーは、アメリカ大統領トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)に訴えて、英語版を出してくれと頼むしかなかった。フランスでの刊行はやっと 1819 年になってからだった。ジェファソンはまた、トラシーの主要経済論考 Traité de la volonté (Eléments第四巻) の英訳 Treatise on Political Economy(1818) を自ら監督した。これはフランスでは 1823 年に Trait d'économie politique として再刊された。