NISHIO Hirokazu[Translate]
リソース自認
>nishio 自分がRであると自認している人Aと、自分はRでないと自認している人Bがいるとき、Aは他人をRと呼ぶことに問題があると考えないが、BはRと呼ばれることを不快に思う、のRにたまたま「リソース」が代入されただけの気がしてきた

>nishio 自分はリソースだと思う/思わない
>
自分はリソースだと思う人が圧倒的に多い

もう少し考えると「自分はRである」と認識している人が、暗黙に「人はRである」と一般化してしまい、それを他人に適用してしまう、という現象のような気がした
「自分はRである」としても「他人がRである」とは限らない
Rな人とそうでない人がいる
これはまたちょっと違った意味になってしまうな
「自分は価値のあるリソースである」と思ってる人にとって「Aさんはリソースではない」とは「Aさんは価値のないゴミ」に相当するわけなので穏当ではない
あー、わかった
「自分は『自分はRである』と思っている」としても「他人が『自分はRである』と思っている」とは限らない
こうか
二重構造になってるんだな
中身の主語は「自分」には限らない
「人は」とか「世界は」とかもあると思う

>「自分は『自分はRである』と思っている」としても「他人が『自分はRである』と思っている」とは限らない
これを書いて「英語でどう表現するんだろう」とGPT-4oに翻訳させたら「自分」を2通りに訳した
>Even if one thinks "I am R," it does not necessarily mean that others think "I am R."

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