参加軽視の再分配主義
「AIが全部やって人々は
UBIを受け取るだけ」というシステムは「社会参加」を軽視して「再分配」だけしていると言えそう
1. Allenの核:正義は「配る」だけじゃなく「参与する力(agency)」の問題
Allenは政治的平等を、単に「1人1票」みたいな形式だけでなく、政治過程に等しく参加できることと、政治圏での
等しい立場(standing)として捉えます。これは“
結果の分配”では代替できない、という方向性。
なので「再分配(UBI)があるからOK」は、Allen的には “政治的平等の核心を落としている”
2. 「再分配だけ」は、支配(domination)を温存しうる
Allenは政治的平等が
非支配(non-domination)の条件だ、と結びつけます。
ここから直に出る含意は:
UBIで生活は安定しても意思決定に関与できないなら「誰が、何を、どう設計するか」を握る側への従属が残る
3. “社会参加”は「コスト」じゃなく民主主義を成立させる「訓練場」
Talking to Strangers 系の議論(市民性・信頼・日常の相互作用)からは、社会参加を薄くすると 民主主義の技能そのものが痩せる、というコメントが出ます(見知らぬ他者と関係を作る・言葉で影響する・相互不信を越える等)。
Allen周辺でよく議論されるのが、民主主義は「支配せず/されず」を保つために、互いに一定の負担やリスクを引き受ける(=
犠牲)という見方。参加が薄いと、その犠牲が一方向になりやすい。
UBI体制が“与える側(設計者)/受け取る側(被設計者)”の固定化を生むと、まさにここで正統性が崩れる。
まとめ:Allen流の一言に圧縮すると
「UBIは“自由の条件”を支えるかもしれないが、参加=政治的平等を置き換えない」