NISHIO Hirokazu[Translate]
アーレントとデューイ
GPT5
Arendt(『人間の条件』第II部、とくに5–7章あたり)は、三分法で近代の変質を説明します。
私的領域=家政・必要(生存維持)の領域
公的領域=言論と行為が現れ「共通世界」が成立する領域
社会的領域=近代に、家政(生活維持や経済)が“公的に組織化”され、政治が「管理(administration)」へ傾く領域
Dewey(公衆とその諸問題)は、公/私を「当事者だけに結果が閉じるか」vs「間接的結果が広く及び、規制が必要になるか」で定義し、後者が“public”を生み、それを組織化するのがstateだと言います(「indirect consequences」)。
両者の接点はここです:
近代の技術・市場・組織が、影響(結果)を“遠く・見えにくく・巨大に”し、顔の見える共同性を壊す(DeweyはGreat Society、Arendtは社会的領域の肥大)。
その結果、「公共」が輪郭を失う/政治が行政化する(Deweyは“Public in eclipse”、Arendtは行為が行動・行動が管理へと置換される問題)。
ただし解決像は違いが出ます:
Deweyは「コミュニケーションがGreat SocietyをGreat Communityに変える鍵」として、公共の“再組織化”に期待する。
Arendtは「公共=現れの空間/複数性/行為」を軸に、行政化や“行動(behavior)化”が公共そのものを痩せさせる危険を強く見る。

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