NISHIO Hirokazu[Translate]
社会の全体最適と親の局所最適は異なる
>-子供には自由を与えよう、学校の時間は少ないほど良いしなんなら週4日でもいいよ、宿題なんか出さない
> 的な方向性(僕の偏見では北欧とか)
> と、
> -メイカー教育でもコンテストやって勝つのが大事、英語も中国語も数学も盛りもり、勉強は人生の未来を開くよ(僕の偏見では華人)
> どっちも正しそう

nishioこれは「ゴールの明確なレース」と「ゴールのない探索」の違いで、レースで競った方がそのレースで測れる能力については高速に成長するのだが、そればかりではゴールのない状況に置かれたときに自分で道を決めることができない。それを経験する機会がなかったからだ。

>鍛えた方がいいのか、なるべく自発的にやりだすまで鍛えるのを控えた方がいいのか
nishio
それは社会全体の最適を考える視点と、親が自分の子供の局所最適を考える視点とで解が違います。
例として「社会が自発的に行動する人を求めてる」って状況だと「自発的行動に任せ、自発的に自分を鍛えなかった人は無視」が割と全体最適に近いけど、親は自分の子供が無視されることを好まない。
時間は有限で、かつ、自発的やる気に溢れて行動する場合と、親とか学校とかに命じられてやる気なく行動してる場合では時間当たりの得られる学びが桁違い。
だから、僕は「自発的であることが大事」って立場
しかし、これは僕に子供がいないからそう思うのかもなぁ…とも思ったり。


関連


"Engineer's way of creating knowledge" the English version of my book is now available on [Engineer's way of creating knowledge]

(C)NISHIO Hirokazu / Converted from [Scrapbox] at [Edit]