NISHIO Hirokazu[Translate]
ルーマンの信頼とハーバーマスの相互理解
GPT5
ルーマンの「信頼」とハーバーマスの「相互理解」を、正面から対比します。

ハーバーマス:「理解できるから従う」社会
ルーマン:「理解できなくても動く」社会

ルーマン:信頼は「理解抜きでも行為できる」仕組み
ニクラス・ルーマンにとって重要なのは、人が互いに理解し合えなくても社会が回ること。
他者の意図や価値観は原理的に不透明
それでも行為しないと社会は停止する
だから信頼=リスクを引き受けて期待する装置が必要

ハーバーマス:相互理解は「正当な行為の条件」
ユルゲン・ハーバーマスは逆に、理解に到達できる可能性を理論の中心に据える。
言語行為には「理解されうる」という内在的志向がある
強制や操作でなく、理由の交換による合意が正統
民主主義は討議(ディスコース)によって支えられる
👉 合意が必要。規範的理想としての対話。

決定的な違い:ズレは「失敗」か「通常」か
ハーバーマス:相互理解の失敗=歪み・病理(修復すべき)
ルーマン:相互理解の失敗=通常状態(設計に織り込むべき)

制度を見る目の違い
ハーバーマス
制度は討議による正当化を要求される
透明性・説明責任が中心
ルーマン
制度は期待を安定させればよい
ブラックボックスでも作動すればOK
👉 「説明できるか」vs「予測可能か」

現代的含意(AI・民主主義)
AI × ハーバーマス: 説明可能性参加型設計熟議支援
多くの現実システム(行政・金融・プラットフォーム)は実装はルーマン的、理念はハーバーマス的になりがち。

nishio
個人的にはハーバーマス的な「人々は互いに理解できる」を遠い理想として、それを目指して進んでいくのは良いことだが、現時点の現実として「人々は互いに理解などできてない」のだから、相互理解を前提としないシステムを実装すべきだよなという気持ち

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