熱すぎて人間が入れない温泉のたとえ
熱すぎて人間が入れない温泉のように、アイデアはそのままでは現時点の大部分の人間にとって有益ではないことがある。
時が経つことによって「温泉が冷めて」人が入れるようになる。
水を入れて温度を下げることもできるが、温泉成分が薄まってしまう。
手間暇かけて「湯もみ」をすることで、薄めることなく人間に適した温度にすることができる。
世の中に出すために「温度を下げ」ていない「
源泉」に触れることができるのは社員だけ
アイデアを
熱湯にたとえるのはブレインストーミングの提案者オズボーンもやっていたが、温泉の湯もみに関連づけるのは日本ならではだな
---
Notaに入ると
源泉のアイデアに触れることができます
エンジニアとしての最高のモチベーションになる
アイデアが悪いのではなくて、ただ人間向きの温度ではないから調整が必要なだけなのだなー

議事録みてめっちゃ笑った

素晴らしい洞察、メタファーがさらに発展した

Notaのメンバーが湯もみをやってるイメージ

>草津温泉で行われている、板を持ってお湯をかき混ぜる、湯もみのイラストです。
板で混ぜることで温泉成分を薄めることなく温度だけ下げる
>草津温泉の源泉は熱く、50℃近いものがほとんどで、そのまま入浴することはとてもできません。しかし温度を下げるために水を入れたのでは、温泉の効能が薄れてしまいます。そこで、熱い源泉の中に約180cmの板を入れて湯をもみ、入浴できるまでの一定の温度に下げる「湯もみ」が考え出されました。また、「湯もみ」をすることにより、温度を下げるだけでなく、湯を柔らかくする効果や入浴前の準備運動にもなります。
温度下げるのを「水を入れる」と解釈してたけど、水を入れずに温度を下げることを頑張ってるらしい

「水を入れて手軽に温度を下げることは可能だが、それをやると薄まるので手間暇かけて『
揉む』必要がある」ということか
アイデアが悪いのではなく、熱すぎて、少し冷まさないと今の人間は入れない
「このアイデアを評価しないなんてけしからん!」ではなく「そっかー、熱すぎるのかー」となるのは精神衛生に良さそう


熱い意識ゼロだったのに...

熱湯自身は「周りが冷たい」と感じるのである
