NISHIO Hirokazu[Translate]
理解に価値がある信念の一般化は1950年ごろから
nishio理解」を良いものだと思うようになったのは人類史の中でごく限られた期間なのでは?

o1 Pro古代ギリシアや仏教・儒教などの伝統思想にも「理解」や「洞察」を重んじる流れはありましたが、社会全体がそれを「良いもの」として大きく制度化・推進するようになったのは近代以降が顕著です。科学革命や啓蒙時代を経て、合理性や客観的知識が社会的に高く評価されるようになり、「理解」を目指すことそのものが大きな価値を持つようになったともいえます。
一方、古代や中世では、宗教的権威や伝統的権威が重視され、個々人の自由な探究や「理解」にそこまで社会的地位が与えられなかった時代もありました。したがって、人類史全体で見れば「理解」に大きな価値を置くようになった期間は、確かに比較的短いといえるかもしれません。

nishio「社会の構成員全員にとって理解が価値のあるものである」という信念が社会の構成員の過半数によって共有信念となったタイミングが西暦何年ごろか考えて理由もつけて解説して。

o1 Proざっくりとした推測になりますが、世界規模で社会のほとんどの人(過半数)が、理解することは誰にとっても価値があると考えるようになったのは、第二次世界大戦後の教育制度普及期、つまり1950年前後くらいと見るのが妥当だと思われます。

理由の概略:
1. 識字率の向上と初等教育の拡大
19世紀末から20世紀前半にかけて欧米諸国を中心に義務教育が制度化され、基礎教育を受けられる層が急速に増えました。特に第二次大戦後には多くの国で教育制度が整い、識字率が高まることで「学ぶこと」「理解すること」の重要性が個人レベルで認識されやすくなりました。

2. 国際機関の設立と理念の普及
1945年にUNESCO(国連教育科学文化機関)が設立され、世界規模で「教育を受けること=万人の権利」という理念が広まりました。この世界的な動きにより「知識や理解は万人にとって価値がある」という考え方が浸透しやすくなりました。

3. 大衆社会と情報メディアの発達
戦後にラジオやテレビといったマスメディアが爆発的に普及し、教育・啓蒙番組やニュースなどで多様な情報にアクセスできる環境ができました。こうした情報の流通が、人々に「自分で理解し判断する」必要性を強く意識させることに寄与しました。

これらを総合すると、第二次世界大戦後、1950年前後から60年代あたりにかけて世界の多数派が「理解の価値」を共有する基盤が整い始めたと考えられます。もちろん地域差は大きく、ゆるやかな拡大という形ですが、この時期がひとつの転換点といえるでしょう。

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「たかだか数百年では?」と思っていたが、o1の見立てではまだ100年経っていなかったw
僕の脳内でのエポックは百科全書だった
フランス啓蒙思想

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