NISHIO Hirokazu[Translate]
技術的知識の積み上げ
技術は一歩ずつ理解を積み上げて作られている
その理解の積み上げの結果、あるキャッチーな結果が発生した時に、自分の中に理解の積み上げがないのにキャッチーな結果についての理解だけを求める人たちXが大量に発生する。

その人たちXはしばしば、土台の積み上げをやることに時間を投資する気がない
だから最小限の理解で目的に到達するような説明が作られる(1)
Deep Learningは最小二乗法のようなものだ、とか
Deep Learningは割り算を部品として含んでいないから、既存の計算の全てを圧倒する存在ではない、とか

これらの説明は「うまいこと積んだな!」という感じで、賞賛に値する気持ちなのだが、
Xがこの種の説明を聞いてわかったつもりになっても、次の技術の進歩のタイミングで理解が崩壊してしまう

この種の説明について悩んでいる
顧客ニーズがあるから提供するのは正しい、と考えるべきなのか
理解した感じを得ることだけが目的の顧客に対して、将来の理解まで担保するのは過剰品質であって、これでいいのだ、と考えるべきなのか
「理解した感じ」には便益がないのだから、それを作り出すためにコストを支払うのは正しくない、と考えるべきなのか
この種の説明は、多数の行動しない人向けにリリースしても便益がなくて、行動を促したり、行動する人の選択を改善するために使うべきなのか

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