NISHIO Hirokazu[Translate]
選択と配列

文章を書くということは選択と配列である、的なことを川喜田 二郎梅棹 忠夫がいってなかったっけnishio

GPT5
たしかに「編集(=文章づくり)は“選択”と“配列”だ」という言い回しはよく見かけますが、厳密に「川喜田二郎や梅棹忠夫の定型句」としての出典は見当たりません。
ただし近い発想は両者に強くあります。
梅棹忠夫は『知的生産の技術』まわりで、カードや「こざね法」による並べ替え=配列の重要性を一貫して強調し、有名なフレーズとして分類するな、配列せよが流布しています。制度的な出典としても、国立民族学博物館の研究リポジトリ資料にこの言葉が引用されています。(ir.soken.ac.jp)
川喜田二郎(KJ法)は、バラバラの断片をカード化→類似でまとめる(選別)→関係づけ→図解→文章化という流れで、素材の選別(選択)と構成(配列)を段階的に進めます。本人の定型句として「選択と配列」を掲げている証拠は見つかりませんが、方法論の中身はまさにそれに当たります。(製造業のプロセス革新、課題解決を支援するWebサイト (ものづくりドットコム))
加えて、日本の著作権法で「編集著作物」は“素材の選択又は配列によって創作性を有するもの”と定義されており、この法令由来の言い回しが一般の「編集=選択と配列」という表現の背景にあります。ここから文章・編集一般の要諦として転用されがちです。(jfpi.or.jp)

結論
「文章は選択と配列である」というのは、梅棹の「配列」重視やKJ法の実践、そして著作権法の“選択・配列”という語法が重なって生まれた“通俗的まとめ”に近いです。厳密な出典付きで人名に帰せるよりも、「梅棹は“配列”を強調し、川喜田のKJ法も“選択→配列”の実技である」と説明するのが安全だと思います。(ir.soken.ac.jp)

出典付きで書くなら例えば:
「文章化は(1)素材の取捨=選択と(2)構成=配列からなる。梅棹忠夫は『知的生産の技術』で“分類するな、配列せよ”と配列の意義を強調し、川喜田二郎のKJ法はカードの選別・群化から配列・図解・文章化へ進める技法である」(関連:著作権法における編集著作物の定義「選択又は配列」)。(ir.soken.ac.jp)




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