囲碁と対話のたとえ
>囲碁は対話であるというのがようやくわかってきた。「こっちは私が取るからそっちはあなたのものね」と思うようになってきた。今までは敵を殲滅することばかりを考えて逆に皆殺しになることばかりであった
面白いたとえ
囲碁の特徴をよく表している
敵を倒そうと無理をして、結果そのスキを突かれて逆に倒されるのはよくあること
囲碁は100点満点ではなく51点を取ればよいゲームである
それを一言で「対話」と呼んだところに趣きがある
つまり翻って「対話とは100点満点を目指さず、こっちは私が取るからそっちはあなたのものね、というゲームである」との主張と捉えられる。
文章構造が興味ぶかい
「AはBのようなものである」とアナロジーをつかったら、普通はBの説明が続く。わかりにくいAをわかりやすいBで説明するのが目的だから。
しかし今回はAの説明をしている。
話者にとって「A=B」なのだから当然交換して「B=A」にしても成り立つわけで論理的な構造としてはvalid
何か面白いものがありそうな気配がする