NISHIO Hirokazu[Translate]
ひまわり学生運動
>ひまわり学生運動(中国語: 太陽花學運318學運)は、2014年3月18日に、中華民国(台湾)の学生と市民らが、立法院(日本の国会議事堂にあたる)を占拠した学生運動から始まった社会運動。
>3月18日に始まったことから、当初、台湾メディアでは318学運・占領国会事件と呼ばれていた。他に318青年占領立法院・太陽花学運・ヒマワリ学運・318公民運動などという呼び方がある。現在最も一般的な呼び方は太陽花学生運動になっている。

英語での会話ではOccupyという言葉で言及されてることが多いnishio

>初めて政治と関わることになった「ひまわり学生運動」
>私が政治と直接的に関わる最初のきっかけとなったのは、33歳になる直前、2014年の3月に起こった「ひまわり学生運動」でした。
>...「立法院を占拠した若者たちには、必ずや自分たちの主張があるのだろう」...学生たちはもちろん、立法院の外で彼らを支援する20以上の民間団体にも、それぞれの主張があり、どの主張にも説得力がありました。
> そこで、私は学生たちが立てこもる立法院内の様子をg0v(gov-zero:オープン・ガバメントを追求し、政府に対して徹底した情報公開と透明化を求める台湾の民間団体)のメンバーとともにネットでライブ配信して、学生たちの運動を支援しました。私たちはライブカメラで立法院の中と外をつないで、20の民間団体が人権・労務・環境問題などを話し合えるようにしました。
> そして、3週間で4つの要求をまとめて立法院の議長に提案しました。すると、当時の議長はその4つの要求が合理的なものであると認め、すべての要求に応えてくれたのです。
> このときの経験により、台湾の人々は「デモとは、圧力や破壊行為ではなく、たくさんの人に様々な意見があることを示す行為である」ということに気づき、それをきっかけに、官民の間で対話の機会が増えました。「政治は国民が参加するからこそ前に進めるものなのだ」と皆が実感するようになったのです。

>ひまわり運動は、現政権における大きな社会的原動力として作用しています。一方で日本では、反政府デモというとイデオロギー色の強いものというイメージがあり、国民の広範な支持へと拡がりにくいのが現状です。社会運動について日台にはどういった違いがあるでしょうか。
> 【タン】ひまわり運動の特色は、反対のために抗議するデモンストレーションではなかった点です。どちらかといえば、「モデルケース」「手本を見せる」ためのデモンストレーションでした。

>田中:これは台湾の「ひまわり学生運動」ですよね?
> オードリー:そうです。ざっくりいうと、占拠された国会に私がいるときの写真ですね。
> 田中:えっ! 中にいたんですか!
> オードリー:はい、しばらく中にいました。Twitterをチェックしていただければ、350メートルくらいのとても長いC85かC86ケーブルを、私が中に持ち込んだ全プロセスが見られます。国会にブロードバンドがなかったんですよ。ブロードバンドはもちろん人権ですから、みんなをサポートしなければならなかったんです(笑)。



GPT5
世界との明示的な「双方向議論」の象徴:Reddit AMA(占拠2週目)
学生たちは占拠二週目に Reddit の r/IAmA で AMA(なんでも聞いて)を開催しています。
「立法院を二週間占拠している学生です。日曜には50万人近くが集まりました、質問どうぞ」という形。
世界中のユーザが「この運動はナショナリズムなのか、反ネオリベなのか?」などの質問を投げ、議場内から学生が英語で長文回答している。


>Afterwards, my role was pretty much the same as the first day. I looked at the situation to see where we may need more Internet equipment, where we may need a dedicated line. But the actual work, the actual coordination was done by professionals and people who would rather name anonymous – the people who set up the equipment, the power generators, and so on. I was really just a channel to make available, and make visible, what was happening around the parliament. I wasn’t alone either. There was the CPR, the cable power radio team. That was maybe 100 people across the whole occupy movement.
> その後、私の役割は初日とほぼ同じでした。私は状況を見て、どこでインターネット機器が増えたのか、どこで専用回線が必要かを考えました。しかし実際の作業や調整は、専門家や匿名を希望する人々、つまり機器や発電機の設置を担当する人々によって行われました。私は本当に、議会周辺で起きていることを知り、可視化するためのチャンネルに過ぎませんでした。私も一人ではありませんでした。CPR、ケーブル電力ラジオチームがありました。それはオキュパイ運動全体でおそらく100人程度でした。

>I personally brought Ethernet cables. There’s many people from the open-source movement logistics team, the so-called CPR -- Cable, Power, and Radio team -- under the banner of g0v to support the people who are occupying the parliament to make sure that everything that happens inside is live-streamed.
> 私は個人的にイーサネットケーブルを持っていきました。オープンソース運動の物流チーム、いわゆるCPR(ケーブル・電力・ラジオチーム)の多くの人々がg0vの旗の下に参加し、議会を占拠する人々を支援し、議会内で起こるすべてのことがライブ配信されるようにしています。

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