NISHIO Hirokazu[Translate]
Plurality in Japan(サイボウズラボ)
Funding the Commons Tokyo 2024でオードリー・タン、グレン・ワイルとともにDesigning for Pluralityというセッションに出た(2024-07-25)
そこで話すために用意した「Plurality in Japan」(7分)を、前日に別セッションで日本語で発表して追加のコンテンツと質疑を行った(Plurality in Japan(日本語), 40分)
今回はこれを60分話す
質疑多めでやる





humanブロードリスニングという概念はPluralityコミュニティから出てきたものですか?
nishioブロードリスニングという概念はAndrew Traskというグレンの友達が命名した(ブロードリスニングの命名)
最終的に安野さんはPlurality和訳コミュニティに置かれていたPlurality本の機械翻訳を見てブロードリスニングの概念を知った

humanOffensiveなものがどのくらいあったのか気になる……
nishio正確な割合は把握してないが結構あったんじゃないかな、有毒さスコアがいくつかの軸で0%~100%みたいな感じで出るので閾値50%とかで切る感じ



human日本は上位下達じゃないんだ!
human稟議をたらいまわしするパターンとか。
nishio稟議はそのまま研究対象になるくらい日本独自のカルチャー: “Ringi System” The Decision Making Process in Japanese Management Systems: An Overview
human責任回避型?
humanポジティブな側面は、合意形成に時間をかけるともいえますね。
nishioそれが"CONSENSUAL"ということ
human確かに階層の強さと上位下達の否定はなんか矛盾している気がする。
human納得は全てに優先するっ!!て人が多いからじゃないかなぁ。上に言われたから仕方ない、みたいな人があんまりいなかったり?
nishio「上に言われただけでは納得できない」という反対のスタイルが存在するのがそもそも上位下達型でない文化の特徴、上位者が言ったんだから当然従うし、その意思決定の責任は当然上位者が全て負うよね、という文化もある
human上が責任を取ってくれるなら、受け入れられるってことなのかな?
human日本は現場も上司の決定に疑問を感じなきゃいけない。確かにそうかもなあ。
関連
個人的には日本において「上位者」が「上司個人」ではなく「空気」「会社」「世間」「常識」な「個々の顔の見えない集団の擬人化」なんじゃないかなと思っている
だから「上司個人」が勝手に「集団の意志」(=上位者の意志)を決めることに反発しつつ、「上位者」(=集団)の決定に従順に従う、という行動が両立する

human意思決定の構造は簡単には変わらなさそうなイメージを持っているけど、情報伝達の構造はだいぶ変わりそう
nishioPolisを使って匿名のまま直接攻撃なしに対立ができるようになると心理的安全性高くより良い議論ができそう
human日本がこのスタイルになったのは、一神教ではなくて多神教だったからなのかな。つまり自分より上位の人がたくさんいるので、どれが正しいか自分で判断しないといけなかった?
nishio多神教の国は日本に限らずあるわけなんでそこに帰着するのはおかしいんじゃないかな



humanなめらか、のイメージがあんまり分かない…...
多様な視点を持つってこと?エコーチャンバーの逆というか。
nishioなめらかな社会とその敵」を1ページに超要約しているので原典を読むのがいいと思う


humanきっと西尾さんは最初KJ法をPluralityに関する文脈で使い始めたわけじゃないと思うんですが、それからに関連を見出していってるのがおもしろいなぁ思いました。
nishioもちろん、KJ法をやり始めた頃はまだ今の意味でのPluralityって言葉はなかったですからね

Pluralityとは
Audrey TangGlen Weylが提唱した概念
「違い」を乗り越え、協働するための技術
human「違いを乗り越え」るのがなんと難しいことか……
その技術を使うことによって、社会をより良い方向にアップデートしていこう、という運動
新しく作られつつある社会は、まだ形が定まっていないし、みんな見たことがない
なので既存の言葉で説明し尽くすことはできない
新しい言葉を作り、文脈に接続していくことで、新しい意味の言葉自体を生み出さなければならない
human既存の語に新しい意味を乗せた?
nishioYes、辞書には載ってるけど、辞書的意味で解釈しようとしても意味がわからない
humansingular plural (単数 複数)
nishio "singularity ⇔ plurality"という関連性がある
humanところで、なぜAIがめちゃ進化しちゃうのを「単数」と呼ぶんだろう
nishioそもそもその「シンギュラリティ」は「特異点」という意味しかなくy = 1/xx=0でシンギュラリティ

Plurality日本語版がサイボウズ式ブックスからでます
Audrey+Glen+Halskの鼎談インタビューもサイボウズ式のWeb記事で公開予定
なぜサイボウズがPluralityに協力するのか?
なぜならサイボウズのミッションは「チームワークあふれる社会を創る」だから
「違い」を乗り越え、協働するための技術ってチームワークあふれる社会を創るための技術だよね
同じ理想を目指す仲間が見つかった気持ち(理想への共感)
事例
個々人にはそれぞれ違った状況があるから「100人100通りの働き方/100人100通りの人事制度」をやってきた
2018年6月27日
デジタルツールの支援によって一人一人異なるニーズ(=多様性)がケアされてる事例
humanサイボウズは、ブロードリスニングのツールも持ってなかったけど、がんばってきたんだなー。
nishio1997年にまだ組織内のコミュニケーションの大部分が口頭会話やホワイトボードだった時代に"サイボウズOffice"がリリースされて、コミュニケーションが「消えないもの」になった、それによって情報が蓄積するようになって、ブロードリスニングの必要性が認識され、その結果情報キュレーターなどの役割が生まれてきた
humanサイボウズ・ダイジェストとか
nishioみんなが発信することによって通知爆発が起こる、などのことを自社内の自分ごととして体験してきた
SNS上での政治的分断みたいなことは会社組織なので起こらなかったけど、サイロ化という形での分断が起きる可能性をすごく心配して対処しているよね、システム的にも運営的にも



残り時間で掘り下げ
25分では全体は解説できない
俯瞰した解説をすると抽象的になる
それは検索などすれば見つかると思うので、ここではFunding the Commonsの文脈につなげて面白いトピックを紹介する


Audreyが参考にした柄谷行人交換様式論からスタートしてデジタル民主主義まで走る
食べ物が保存不可能であった場合、一人で食べられる以上のものはみんなで分け合う方が、食べきれない量を腐らせてしまうよりも合理的だった。(交換様式A)
食べ物の保存が可能になったことで、分け与える合理性がなくなった。
飢えた人は食料が欲しいので、何かを差し出して交換しなければならない。
このときに「何も資産を持たない人」が差し出すことができるのは、人生の時間だった。
こうして時間の切り売りという「他人への従属」が発生した。(交換様式B)
これが生産活動に従事しない軍隊へと発展していく。
常備軍の発生はかなり古い、メソポタミアのころにはすでに記録が残ってる
軍事力によって外的から中の「人々」を守る「国家」が生まれて行った
軍事力によって他人を排除することで、誰のものでもなかった「土地」が私有されるようになった
同じく大昔に「保存のできるトークン」が生まれた
のちに貨幣と呼ばれるようになる
交換のタイミングを同期する必要がなくなり、交換が容易になった(交換様式C)
human分業による効率化
nishioYes、それもある。アダム・スミスですね
「保存できる食料」よりももっとコンパクトに安定して保存できるようになった、価値の蓄積が容易になった
価値の蓄積による軍事力はこのトークンの信頼性を高め、逆にこのトークンは価値の蓄積の安定性を高める、という相乗効果が発生した
しかしトークンの交換による市場が成長するに従って、地理的に区分された国家は邪魔になってくる。
軍事力で外敵を排除することによって中の「友」を守る仕組みとしての「国家」は国境を強化しようとするが、交易は国境を弱めようとする
市場にはつながればつながるほど有益になる性質があったからだ。
商人が国家の運営に干渉していく
中世ヨーロッパのヴェネツィアなど
国家に対して開かれた交易を要求する力が強くなっていき、ついには地球規模の市場が成立するようになった。
nishioペリー「開国してくださいよ〜」
ちょっとそこのコンビニに行って原材料を見れば世界中で収穫されたものが使われている
ここまでが柄谷行人の交換様式論における交換様式A, B, Cのざっくりとした解説だった
ところで、このスケールで世界史を見るなら、今は「電子計算機が生まれて最初の100年」の期間
新しい種類の「もの(財)」が生まれた、それはデジタル財
無視できるコストで複製ができる
「使っても減らない財」
食べ物をを分け与えることで社会の幸福が増えていた時代と同じように、デジタル財をコピーすることで社会の幸福の総量が増える
ところが、デジタル財は食べられない
ここまでの文明の進歩の過程で、ほとんどの人が自分の食べ物を貨幣との交換で手に入れるようになってしまった
デジタル財を作って無償でわけあたえていたのでは飢えて死んでしまう
報われないOSS作者が怒って破壊活動をしてしまう事件もあった(colors.js事件)
社会的には作られたデジタル財が無償で少しでも多くの人にコピーされた方が社会全体の幸福がアップする
社会がデジタル財を生み出す人に死なない程度のFundingをして、つくられたデジタル財をみんなの共有財Commonsにしたらいいじゃん→Funding the Commons
(共有財Common Goodsと公共財Public Goodsの違いが気になる人へ: Funding the CommonsはWe build a bridge between builders and researchers focused on transforming the funding mechanisms for public goods.って言ってるのでここでは区別してない)
ではこの辺りのことに関してPluralityはどう考えているか
重要な概念として「個人でも全体でもなく、交差するいくつものグループ」という世界観
ここから考えるとデジタル財に関して「個人の私有」と「全世界共有」のどちらの配布形態を選ぼうと考えてるのは誤った二者択一の感があるね
GlenらはPublicとPrivateの間があるよねと言ってて(Beyond Public and Private)
この問題が今後解決されていく必要のあるものだとの認識が高まっている感じ
そしてweb3技術がデジタル財に新しい所有や提供の選択肢を作り出すことが解決の糸口になるかもしれないな、という状況
他のセッションでweb3関連のものが割とあるのはそういう理由


この図についてもう少し話す
これに関連して21世紀のイデオロギーという整理をして、3つのイデオロギーの1つ「デジタル民主主義」をPlurality本では強く推している
統合テクノクラシー(synthetic technocracy)はAIの進歩で人間を超える存在ができるからみんなそれに任せたらいいよね、という思想
「PluralityはSingularity(シンギュラリティ)の対義語」と説明されるときにシンギュラリティって言葉で暗示されてるのはこのイデオロギー
これがindivisual / intersecting group / wholeの図のwholeに相当する
これの対義語と考えてPluralityをindividualを目指すものだと考えるとうまく理解できない
特にweb3の人が中央集権と非中央集権の対立構図と勘違いしてしまう
企業リバタリアニズム(corporate libertarianism)がその対立における対極
暗号技術などを使って個人の自由を強化し、それを制限する政府の力を弱体化しようとする
いわば市場のメカニズムに任せたらいいよねという思想
これがindivisual / intersecting group / wholeの図のindivisualに相当する
技術によって社会組織を回避し、分解し、信頼をアルゴリズムで置き換えるビジョン by Glen
デジタル民主主義(digital democracy)は企業リバタリアニズムにも反対している
たとえば昨日のMeetupでは「将来トラストレスな政府が作れると思うか?」という問いに対してAudreyは I don't like the word trustless. I like the word trust building.と回答していた
トラストレスを追い求める方向は信頼によって構築された既存の社会構造を分解し破壊することであり、それは好ましくないことだと思っているようだ
この3つのイデオロギーを見て自分はどの要素が強いのかを考えてみると良い
Plural Viewpointsというサービスで3種類のイデオロギーに対して質問を投げかけられるようにしている
しばしば賛否が分かれる、また分かれなくても具体的な方針に差が出る
たとえば"少子高齢化により高齢者福祉の維持が困難になっている、どうするべきか?"
ST: 介護ロボットやAIを導入し、人手不足を補い、介護の質を向上させる。
CL: 規制を緩和し、企業間の競争を活発化させることで、革新的な高齢者向けサービスや製品が生まれるようにする。
DD: 地域社会のネットワークを強化し、ボランティアや地域活動を通じて高齢者を支援するシステムを作る。
それぞれ一理ある
西尾個人は「長期的には統合テクノクラシーだが、その手前にまずデジタル民主主義が必要」という考え
AIが人間より賢くなった時点でAIによる統治の方が人間による統治よりも優れたものになる。
ただし「人々を幸福に統治する」と言った場合の「幸福」の定義を人々の一部が行うと他の人々に対する幸福の形の押し付けになってよくないから、全員の多様な幸福の形を収集する方法が必要になる。
それはデジタル民主主義なわけなので「統合テクノクラシーの手前にデジタル民主主義が必要」という結論になる。
後で賢いAIによる独裁制を受け入れるかどうかと無関係に、現時点ではデジタル民主主義を推し進めるのが良い。
受け入れるかどうかも、デジタル民主主義で決めたらいい。



質疑で使う図


"Engineer's way of creating knowledge" the English version of my book is now available on [Engineer's way of creating knowledge]

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