KJ法勉強会@サイボウズ
KJ法勉強会
2022-08-19
これの開催はまだ先だけど、サイボウズ社内勉強会の機会が先に来たのでそこで話すことにした
ロフトワークさんの面白いところ
「発想法」「続・発想法」が課題図書
今回50人規模の勉強会を行うにあたって全員が
Miro を使う
めちゃくちゃITリテラシー高い想定聴衆!
普通はこんなことができないのでITリテラシーの低い人でも扱えるように紙とペンでやるわけで…
大学での社会人向けの講演でも「Scrapbox使います、Googleアカウントでログインしてください」って言ったら「アカウントありません」みたいな人が出る
受講者が単一企業所属ということもあってかとてもITリテラシー高いレベルで揃ってる、すごい
頭に浮かんだものはすぐ書き留めよう
知的生産の一番大事なコツなので最初に書きました!
理由
書き留めなかったものは消えてしまう
消えないように覚えておこうとすると脳が「覚えておくため」に使われてしまう
その分「考えるため」に使える力が減る
KJ法などの知的生産の手法を使うときは難しいことを考えようとしてることが多いだろう
難しいことを考えるとき、頭を「考えること」以外に使うのは無駄
「覚えておくこと」に使わないで良いように書き留めることが大事
書き留めるコストを最小限にしよう
目の前にキーボードがあると「キーボード使わないといけない」と勘違いする人がいる
どの手段がコストが低いかは人によって異なる
もしあなたがスマートフォンでフリック入力する方がキーボードで入力するより得意なら、フリック入力で書き留めてもよい
もしあなたが手書きメモの方が得意なら、手書きで書き留めてもよい
あなたが何が得意かはあなたしか知らない
だから最適な手段を選ぶのはあなたの責任
これが知的生産をしていく上での一番重要なコツだと思っている
Q: 今だと図を手書きしながらテキストは音声入力ってのが一番効率が良いのかなぁ
A: それは人それぞれだしどういう内容を書きたいかによって異なるので各自が試行錯誤するべきことですね
自己紹介: 西尾泰和
修士(工学)、博士(理学)、技術経営修士
サイボウズの研究部門子会社サイボウズ・ラボで知的生産を支援するソフトウェアの研究開発をしている
「KJ法的な手法はとても有益だけど紙でやるのには色々不便がある!よいデジタル文房具が欲しい!」というモチベーション
オープンソースで開発、無償提供している
自分が考えをまとめるために使い、自分が必要だと思った機能を優先して実装
グループを畳む: 大量の情報を圧縮するために必要
重要なものを大きくする: 紙だとやりにくいがデジタルだと簡単。ズームアウトしても読めるようになる
ものの間に関係の線を引く: これも物理的な文房具だとやりにくい、ヒモでつなぐのか?? デジタルなら簡単
クリーンランゲージやシンボリックモデリングなどのコーチング手法をベースにした「コンピュータがあなたに質問をしていくことで考えを引き出していく」ツール
知的生産のもう一つの大事なコツ
KJ法との関係について少し昔を振り返る
10以上のプログラミング言語を比較して「何が陳腐化しにくくて長期的な価値のある知識なのか」を解説した書籍
この書籍をまとめるのにKJ法を使った
技術書は寿命の短いものが多いが、この本は発売から7年経っても増刷されてる
「長期的な価値」が実現できている証拠
2泊3日、12時間のワークショップでKJ法を教えた
この講義資料をまとめるのにもKJ法を使った
この講義資料を基さんが見つけたことが今回の勉強会のきっかけになった
「コーディングを支える技術」がどうやって作られたのかを解説する本
「長期的に価値のある書籍を作る」という「知的生産」が行われた
このプロセス自体にニーズがあり、特集記事や連載を書いているうちに、書籍にしようという企画になった
とはいえ「KJ法で執筆する」だけでは一冊の本にするにはテーマが狭すぎるという編集判断で知的生産全体の話にした
ジュンク堂池袋本店の全体ランキングで10位になった
複数の書店員さんから「自分はエンジニアではないがこの本は良かった」という感想が出てきたのが個人的にはとても嬉しかった
第5章「考えをまとめるには」がKJ法の話メインの章
全体の分量との兼ね合いでもっと書きたかったけど書けていない
多分みなさんが普段やっている仕事とわりと違う
特に、クライアントの複数人がKJ法的なことをするワークショップのファシリテーターをしている人
「よいファシリテーションの方法を知りたい」的な事前質問があった
が、それに関してはあなたの方が経験豊富ですよ!
今回の
の役割: 違う視点を提供することで多面的理解を促す
違う視点を提供することで多面的理解を促す
ある人が「円だ」と言う、別の人が「四角だ」という
一見矛盾する意見だ、どっちが正しいのだろう?
どちらも正しくない!
KJ法には「データをして語らしめる」というキャッチフレーズがあるが、大前提は…
「円だ」「四角だ」どっちも間違い
> すべてのデータはうそである 。うそと承知でデータを使う。 しかもそこから、より正しい真実を割りだす。それが判断への道なのである。しかし、うそからどうしてまことが割りだせるのだろう。それは、見方を変えると、どのデータにもまた、多少ともに真実の面影が宿っているからなのである。(KJ法 渾沌をして語らしめる p.71)ある人が何かを説明した言葉は、その人の視点から見た景色の描写
描写と対象物自体とはイコールではない
複数人の説明が一見矛盾してるように見えたとしても、それは同じものを違う角度から描写したものかもしれない
(初出: 続・発想法p.29)
データをして語らしめる
「データをして語らしめる」
「言葉難しい…」
まあ60年代の言葉だからねぇ、若い人は見慣れないかもね
現代語訳「データにしゃべらせる」
「データはしゃべらないじゃん?」
擬人的な比喩的表現です
「友人Aさんにしゃべらせる」を考えてみよう
Aさん「ちょっと聞いてよー、夫がさー」
悪い例(Bさん)
話を少し聞いて
Bさん「あー、要するに『配偶者の家事に対する参加態度が問題だ』と言いたいわけですね」
こんなことを言われたらAさんは続きをしゃべれないよね
Bさんは「話を聞かない人」
良い例(Cさん)
Aさん「夫は私を馬鹿にしてる!」
Cさん「そうね、馬鹿にしてるね」
この主張を事実だと思ってるわけではない
事実かどうかはさておいて「Aさんの視点からはそう見えているのだなぁ」と考えて、受け止めている
CさんはAさんの言ったことをちゃんと受け止める「話が聞ける人」
人に対する良い態度:
「『こう言いたいに違いない』と決めつけないで、ちゃんと相手の話を聞く」
これに相当する態度をデータに対してとると:
「『こうなってるに違いない』と決めつけないで、ちゃんとデータを見る」
これが「データにしゃべらせる」
「夫婦喧嘩の片側の話だけ聞いても正しい理解にはならない、両方の話を聞かなきゃ」になる
今回の勉強会企画段階での「データにしゃべらせる」
基さんからの最初の相談メール
「ベテランメンバーの属人的スキルとなっている」
「若手メンバーに伝えることが難しい」
西尾が最初に思ったこと
暗黙知の伝達が難しいなら
「コストを掛けて言語化する」か
の二択では?
「コストを掛けて言語化する」に関して:
ベテランはKJ法を実際に使って価値を感じてるわけなのだから「なぜ私はKJ法を使うのか」を泥臭い自分の経験談を交えて語ってもらえばいいんじゃない?
ベテランに資料作成の時間コストを出す余裕がないなら、若手メンバーがベテランにインタビューしてKJ法でまとめたら?
と「コストを掛けて言語化する方法」を掘り下げようとしていた
その後、詳しいデータを見た
データ=基さんに質問したり事前アンケート結果を見たり
「どうやら事前の理解と違うぞ?」
特に若手メンバーはチームでKJ法をやっているケースが多い
つまり「同じ場でやることで非言語的に伝達する」を既に試みていて、その上で現状の問題が発生している
アンケートに「意味わからない」「怖い」「正解がわからない」「今更感があって聞けない」がある
仮説
KJ法は必須スキル、課題図書「発想法」を読め、と言われて読んだけど意味がわからない…
先輩と一緒にKJ法をやるOJT。見よう見まねでそれっぽくやってみてるけどこれでいいのかな…正解がわからない…先輩がこれでいいって言うから正解なのかな…
「よくわからない」って言うと「えっ?今更?」とか言われるかも?質問するのが怖い…
(一人でやる提案に対して)正解がわからないから一人ではできない…
この問題を解決するにはどうすればいいか?
聞いてるみなさんが自転車に乗れると仮定して自転車にたとえます
今ここに「自転車の乗り方がわからない人」がいるとしましょう
「自転車の正しい乗り方がわからなくて乗れないんです、教えてください!」
さあどうする?
データに「KJ法のやり方の正解がわからないからできない」的な意見が出てる
暗黙に「できている人は正解を知っている、自分は知らない、教えてもらわなきゃできない」と思い込んでる
でもあなたが自転車の乗り方を習得したプロセスって、教科書を読んだり座学で講義を聞いたんじゃないよね?
安全な公園とかで、実際に自転車にまたがって、何度も挑戦して、時々こけたりして、その繰り返しから安定して前に進むコツを身につけたはず
別の視点: 100回以上KJ法をやってるベテランのセリフ
「勝手に我流にしてしまった部分があるかもしれない」
「自分は正解のやり方をやっている」と思ってない
「自分は正解は知っているけど、少し変えて我流にしている」とも思ってない
「正解を知らないので、自分がやっている方法が正解か我流かわからない」と思っている
正解など存在しない、使いこなしている人はみんな我流
みなさんの自転車の乗り方が我流なのと同じ
自転車に乗れば歩くより速く移動できることを知っている
必要なときに乗ることができる
これで実用上は十分
「正しいやり方」を質問してもスッキリした答えがもらえないのは、みんな「我流のやり方」をやっているから
「我流」は悪くない、むしろ良い
我流=自分の個性に合わせてカスタマイズした方法
試行錯誤して自分なりの「我流」を磨いていくのが良い
KJ法の誕生:
川喜田二郎の作った知的生産術に、事後的に「KJ法」と名前がついた
つまりKJ法自体も川喜田二郎の我流の知的生産術
Q: 「できる」からといって「教えられる」わけではない、という前提の共有が必要?
A: いい表現ですね。自転車の乗り方を言葉で伝えるのは難しい、それと同じことだと思います
ロフトワーク流を作る必要がある
1967年に文化人類学者が書いた「発想法」
2022年に御社がやってる日々の業務
この二つには大きなギャップがある
目的も違う、使う道具も違う
「発想法」には紙の手帳やラベルの話がいっぱい出てくるがパソコンの話は出てこない、だって1967年の本だもの
日々の業務に応用しようとすると
「発想法」を読んで、
細かい具体的手法を捨象して、
知的生産術としてのエッセンスを抜き出し、
それを現代の道具を使って実現することが必要
新入社員にハードル高すぎないですか?
新入社員教育を改善したいなら「発想法」の現代・御社の文脈へのアップデートが必要
現代文脈へのアップデートは
のやりたいこととも一致しているので協力できる
その最初の一歩としては、1967年の「発想法」の後、20年以上の経験を踏まえて書かれた、1988年の「
KJ法 渾沌をして語らしめる 」を読むのがいいと思う
御社文脈へのアップデートには御社業務に密結合な知識が必要
だからこれは御社のメンバーがやるべきこと
みなさんそれぞれ目の前の業務のために我流を発展させよう
気軽に質問しあってノウハウを交換して改善していくと良い
スモールスタートの原則
一度に大きな問題を解決できない時、まずは小さく始めると良い
「今更感があって聞けない雰囲気がある」という問題の解決
これの解消のために「外部講師が講義資料作成のために疑問点の情報を求めている」という形のアンケートをして「今更なことを質問する機会」を作り出した
「質問が言語化を促す」の実例でもある
この質問に限られた時間で口頭で答えるのは無理&無駄なので事前事後にテキストで答えていく
この質問は「御社内にそれを疑問に思う人がいる」というデータなので、御社内での議論やノウハウ流通のきっかけにも使うといい
今日の勉強会での限られた時間でのワークでは「補助輪付きの自転車で走る練習」をしてもらいます
将来的には公道を補助輪なしの自転車で走ることが目的だとしても、最初からそれにチャレンジはしない
まずは「自転車を漕いで進む経験」をする
そして「自転車を漕げば歩くよりも速く先に進める」と実感する
この実感が「このやり方でよいのだ」という自信につながる
今回のワーク
「一人で 」「25枚程度 」の「自分由来 」のラベルを「探検ネット 」する
それぞれの要素について説明していきます
一人でやる(1/5): まず歴史を振り返る
1: 1967年「発想法」ではじまりのKJ法がリリースされた
この手法は文化人類学者の
が自分の知りたいことを知るためにフィールドワークをして、集まった大量の定性的データを「まとめる」ことが目的だった
2: 「発想法」が話題になって
が他の人にKJ法を教えていく過程で「KJ法は色々な目的に応用できるのではないか」となった
そして、
本人や周囲の人により多種多様な目的への応用がされた
目的が違うのだから手法も少しずつ違う
は元々のKJ法とこれらの多種多様なKJ法的手法とを区別するために、元々のKJ法を指して「
狭義のKJ法 」という言葉を使い始める
だけども、これでは複数の狭義のKJ法がある場合に曖昧なので、このページでは「
はじまりのKJ法 」と呼ぶことにした
3: 多種多様なKJ法の応用のうちの一つに「KJ法的ワークショップ」がある
大勢の「KJ法を学んだことがない人」を集めて、彼らが考えたことを付箋に書き出し、みんなでグループにまとめながらワイワイと議論をするワークショップのイメージ
「大勢のKJ法を学んだことのない人を対象に行う」という性質から、多くの人にとってこれが「初めて経験するKJ法」になった
その結果「これがKJ法だ」と認識する人がたくさん発生した
しかしこの「KJ法的ワークショップ」は、色々な面で
の「はじまりのKJ法」の考え方とは食い違っている
みなさんがイメージするKJ法ワークショップ、大体もっと短いのでは?
今回もワークの時間は1.5時間だよね
京大サマーデザインスクールでは12時間掛けた
なのでこの「KJ法的ワークショップ」を「KJ法」だと認識している人は、
の著書を読んだときに混乱してしまう
特に「発想法」は「はじまりのKJ法」が出てきた時代の本なので、川喜田二郎はその後生まれる多種多様なKJ法のことを知らない
「KJ法」は解像度の低い言葉なので、今「はじまりのKJ法」と「KJ法的ワークショップ」に分けたみたいに
言葉の解像度を高める ことが必要
一人でやる(2/5): 「はじまりのKJ法」と「KJ法的ワークショップ」
「はじまりのKJ法」と「KJ法的ワークショップ」のどちらの経験が多いだろう?
参加者アンケートではチームで使うことの方が多い人が過半数だった
どういう目的に使っているか?という質問に対しても「ワークショップ」「ブレスト」的な回答がたくさんあった
グループで行うKJ法が普及したことによって現れた、と川喜田二郎が考えている問題
> 初めからグループKJ法ばかりしか経験していない人には、個人作業を行なう基礎的な実力がなかなか培われない...しかも、グループでやった経験だけは何度もあるため、なんとなくKJ法をマスターした気分になっている。力がついてないことに気づいていないのである。(KJ法 渾沌をして語らしめる p.209)川喜田二郎は「ペアでの作業をするメンバーは、先に個人で経験を積んで、それぞれの力量が成熟していないと、望ましくない妥協が起きる」と考えた。
> 一九六八年頃からは、二人がペアでラベルの組みたて作業を行なう研修が始まっていた。ただしこの作業は、第一ラウンド(問題提起)と第二ラウンド (状況把握)のラベル作業を相次いで同一テーマで、個人単位で行なった体験を持った後 、第三ラウンド(本質追求)においてのみ実施したのである。 受講者はこの第三ラウンドに至ったあたりで、初めて存分に融通無碍にペアのチームワークを行なうことに成功できたのであった。それ以前では、ひとりずつの力量が充分に成熟していない と、私には判断されたからである。 作業的にいえば、望ましくない妥協がふたりの間におこる と思われたのである。(p.201)
一人でやる(3/5): 望ましくない妥協
「望ましくない妥協」とは
例えば「KJ法に慣れている先輩」と「KJ法に不慣れな後輩」をペアにしてKJ法をしたとする
先輩が「これは丸だ」と言った時に後輩は「私の視点からは四角に見えますけど?」と言えるだろうか?
(丸なの?私は四角な気がするけど…でも先輩が丸だっていうならそれが正解なのかな…何が正解かわからない…)とくちごもってしまうかも?
これが望ましくない妥協
「一匹狼になった時に疎外感を感じる」というギョッとするデータがあった
えっ
一匹狼に価値がある のに?疎外感感じるってどういうこと?場に「みんなと同じが良い」という同調圧力があるの?それKJ法の場としてダメじゃないですか?
先輩には後輩が不安なく自分の意見を言えるように場の空気をコントロールする責任がある
だが力量に差があるとなかなか難しい
特に先輩後輩のように権威勾配があるとか、新卒社会人のように自分の在り方に不安がある状態では自分の考えを言いづらい
だから一人でやりましょう
Q: なぜ個人作業でしか力がつかないのだろう?じっくり考えるクセがつかないから?
A
: というより先輩と後輩がいる場合に、後輩の側が自分で主体的な判断をせずに、判断を先輩に委ねてしまう
そうすると「判断をする」という訓練に全然ならない
B: なるほどなあ。先輩に遠慮しちゃうわけかー。
C: どんな素朴な意見でも言って良いというお約束&安心感は大前提だなぁ。
Q: でも個人でやってると、四角だと思います、という主張に出会う可能性が無くなるからグループ作業の方がいいのでは?
A: それは二人の参加者が「僕は丸だと思う」「私は四角だと思う」と言い合える対等な関係であることが大前提
その状態ならグループ作業にもメリットがある
一方で片方が丸だと言って、もう片方が「自分は四角だと思うけど、丸なのかなぁ、よくわからないなぁ」と黙ってしまう状況ではグループでやっても「複数の視点がある」が可視化される状況に至らない
なので、まず個人でやって、自分の意見をアウトプットする訓練を十分やって、それができるようになってからペア作業をやりましょうということ
(これを加筆していて思ったことを追記)サイボウズラボのメンバーに関しては、たとえKJ法の経験が皆無でもペアでのKJ法ができそう。
僕が「丸です」って言ったとしても「四角じゃないの?」と気兼ねなく言いそう
それをいうことが問題を引き起こさないという
心理的安全性 があるということだろうか
Q: いろんな意見を出し合う練習は、グループでやって身に着ける。それ以外のスキルを個人で身に着ける。ってことかな。
A: 「いろんな意見を出し合う」は前提条件としてまず「自分の意見を言う」が必要、それは自分の心の中にあるモヤモヤを言葉の形にして外に出す「言語化」のプロセスが必要、KJ法はこの言語化のプロセスを支援する。それをまず一人で訓練してからやった方が複数人でもやりやすくなる。
Q: 片方が片方にやり方を教える場合は、普通に 2 人でやるのとはやり方が違うと思います。
A: 先輩と後輩でKJ法する場合の話だよね?で、自転車の話で、できる人が教えられるとは限らないので、先輩は自転車にまたがって自分のペースで走って行ってしまって、後輩が取り残されて困ると言うことが起こるわけです
一人でやる(4/5): なのでまず一人でやろう
「チームでしかやったことがない、一人でやるイメージが湧かない」
事前アンケートから紹介
ブレストに使ってる人がたくさんいる
一方で「ブレスト止まりで文章化できてない」という問題意識を持っている人がいる
その反面で「記事やブログを書く時に使う」という人がいる
つまり「文章を作ること」を目的として使っている
これは
の「はじまりのKJ法」に近い
彼はたくさんのデータをまとめて文章にするために使った
西尾の経験にも近い
講義資料のスライドや、著書の執筆のために使った
「文章化はしてない、スライドを作ってる」という声もあった
川喜田二郎の説明では「叙述化」に「文章化」と「(図解を示して)口頭発表」の2通りしかない
PowerPointやKeynoteでスライドを作ることが含まれていない
だけどスライド作りは叙述化の一つ
言及されてないのは1967年にまだそれらのプレゼンテーションツールが生まれてないからにすぎない
実際「スライド作りをイメージするとグループ編成がやりやすくなった」という意見が今までの
の経験で何人もから出ている
叙述化(=文章化/スライド作り)という具体的な目的のためにやると良い
目的がはっきりした方が手法の習得が容易になる
そもそも「はじまりのKJ法」に近い形
Q: スライド作りっていうメタファーはとてもイメージしやすくていいな
A: そう。特に箇条書きが3〜5個あって、それらをまとめた内容がタイトルやその下の1行解説として書いてあるみたいなページを作ることってよくあると思います、これはかなりKJ法的
箇条書きの1行がKJ法の1つのラベルであって、1行解説がグループの表札に相当するわけです
(補足)スライド作りも、ボトムアップで作る場合とトップダウンで作る場合があって、トップダウンでスライドを作ってる人が「KJ法はスライド作りなんだ!」と考えるとちょっと間違ってるけどね
例えばタイトルに「実験手法」って書いて、それから箇条書きに「まずAして、それからBして」と書くようなスタイルは向きが逆
一人でやる(5/5): 一仕事の達成が人もチームも育てる
文章やスライドを作ることの他にも色々な種類の仕事がある
「はじまりのKJ法」の目的は文章化だった
その後「色々な目的に応用できるじゃん」となって広義のKJ法的手法が派生した
その結果「KJ法の目的」が曖昧になり、よくわからない気持ちになる人が増えた
一仕事=自分で判断する仕事
対義語「作業」
仕事のタスクは一見「やること」が決められているように見えるかもしれないが、あなたが判断して決める裁量が多少はある
判断力がある人にはより大きな裁量のある仕事が任され、ない人には裁量の幅の小さい「作業」が渡される
この判断力を高めることが広い意味でのKJ法の目的
先輩とチームでやっていると判断を先輩に委ねてしまいがち
=主体的判断の経験が積まれない
だから一人でやって「自分で判断すること」が大事
判断力を高めていくことがみなさんのキャリアを築く上で重要
では判断力はどうやったら高まるのか
多角的情報を元に判断すること
多角的情報に基づくことで「判断」の質と自信が高まる
受講者アンケートの「どういう時に使っていますか?」の中からいくつか紹介:
「自分の仕事の目的がわからなくなった時」「ぼんやりとした課題感がある時」「課題出し」「課題の構造把握」
「何が解くべき問題なのか 」を把握するために使っている
「新しい仕事を始める前」「これからの作業を明確にする」「『何をやるか』を決める」
「何をやるのか 」を意思決定するために使っている
「優先順位に困った時」「スケジュールを立てる時」「計画書を作成する時」
いくつものやることの中で「何を先にやるのか 」を決めることに使っている
何人もの人が「自分で判断して仕事を進めること 」を主体的に意思決定することを目的としてKJ法的手法をつかっている
日々の判断に関して
は「探検ネット再論ーKJ法の実務化」の中で「
考える花火 」という手法を紹介している
(
はじまりのKJ法は実務的じゃないって言ってるようなもんだ).
「考える花火は、私たちが生きていく上で日々発生する悩み事や困難、課題といったものに、一定の結論をもたらすことを目的としている」(p.304)
これを学ぶのがみなさんが今後の実務でKJ法的手法を活用するのに有益
Q: そもそもKJ法は完成された方法だと思わないで、発展途上の方法だと思うのがいいかもしれない。だから自分が改良できる余地があるという前提で勉強する。
A: 完成などされてなくて、実際67年の「発想法」とその20年後の本とを比べるとだいぶ変わってるわけなんだが、67年の本がベストセラーだからみんなそっちばかり読む、安いしね
Q: 改良っていうのは違う気がします。粘土(「発想法」)が与えられて、自分の好きな形に成形するというか。
A
: 「唯一の普遍的に正しい方法」があってそれに向けて改良していくのではなく、個々人それぞれに自分にフィットする手法があり、それは個々人で異なっているので自分の適性に合わせて「自分の手に馴染むように」変えていくって感じです
B: 発想法はどれも
守破離 みたいな考え方が大事かもと思ってます
A
: その通りだと思います
Q: 馴染む道具は人によって異なるというイメージ。KJ 法は道具のひとつ。
そう。文房具なんですよ。世の中には多種多様な文房具がある。たくさんある中で自分にフィットするものを探す。
自分にフィットするものを使えばいいのであって「正しい唯一の文房具」なんてものは存在しない。
ただ「こんなのはどうですか?」と新しいもの時々生まれ出てくる
(追記)
例えば1980年にポストイットが発売された(
src )
KJ法的ワークショップではポストイットがよく使われるので「KJ法はポストイットを使う方法だ」みたいに思ってる人がいそうだけど、1967年の「発想法」の時点ではまだ発明すらされてない
コンピュータが発明された
コンピュータに対して書き込めるペン状デバイスが発明され改良され、Apple Pencilあたりで従来のペンの効用を上回り始めた
iPadを含むApple関連デバイスで大々的に採用された二本指ジェスチャーによる拡大縮小平行移動が、紙のノートに比べて表示部面積が少ないデメリットを緩和した
自分にとって便利なものを見つけることが大事
Q: 新しい文房具はとりあえず欲しくなっちゃうw 自分の(知的)生産性を上げてくれる快適な道具が欲しいってことなんだろうなぁ。
A:新しいものをどんどん買って試せばいいと思います。
25枚程度のラベルでやる
まったく同意見なので「エンジニアの知的生産術」では「100枚ラベルが作れないならそもそも情報収集が不足してる」という趣旨のことを書いた
「不慣れな人が初めて一人で挑戦する」という状況を想定
データを見ると「一人で最後までやりきる経験」がないことによってつまずいている人が多い
最後まで一人でやることがとても重要、25枚なのか100枚なのかはもっと重要度が低い
KJ法は枚数が2倍になると4倍難しくなる
タスクを小さくしてゴールまでの距離を短くした方がいい
これからジョギングを始めようって人がフルマラソンに参加するのはおかしい
川喜田二郎の「KJ法がわかるには100枚以上が必要」の「KJ法」は「はじまりのKJ法」を指している
日常的な実務に使う上では100枚を超える必要はないという考え
慣れてきたら100枚超えにチャレンジするのがオススメ
簡単な方から始めて、徐々に難しいことにチャレンジする
まずは補助輪付きの自転車で走って、慣れたら隣町まで自転車で行ってみよう、というノリ
自分由来のラベルでやる
ラベルを見て「もっと詳しい情報が欲しいな」って時に何をするか
1: 自分の考えを書いたラベル
→「これをもっと詳しく言うと?」と自分に問い掛ける
→その意見を出した人に「これをもっと詳しく言うと?」と聞く
3: 書籍など「長文で記述されたもの」からピックアップして作られたラベル
→書籍の該当箇所を読み返す
4: 匿名アンケートの自由記述欄などの「短文で記述されたもの」から作られたラベル
→困る
アンケート対象企業の中の人に質問するとか…
たとえば今回の受講者事前アンケートでもわからないことがあった
複数人が「軸」「粒度」という言葉を使っていた
この「軸」「粒度」という言葉が、辞書的な意味で使われてるのか、御社内で特有の意味で使われているのかわからない
そこで基さんにメールで聞いた
返事の文章(=アンケートよりも長文)を読んだらはっきりした
こういう解決ができるのかできないのか
自分由来のラベルでやるのが一番簡単、匿名アンケート由来のラベルでやるのはかなり難しい
だから今回は自分由来のラベルでやる
御社では業務上の必要に迫られて「アンケート由来」の「100枚以上」のラベルをKJ法でまとめることがしばしばあるように見える
必要なのならやるしかないと思うが「とても難しいことにチャレンジしている」と自覚した方が良い
不慣れな人にKJ法を習得させる目的でやらせるのはスパルタすぎるように思う
探検ネットをやる
「KJ法の双子の弟」「KJ法の実務化」
実務を目的として生み出されたKJ法的手法
目的が違うのだから手法に差が出るのは当然で「はじまりのKJ法」とは少し異なる手法になっている(see
考える花火誕生の流れ )
具体的にどう違う?
狭義のKJ法一ラウンド(第4章)では
グループ編成の要素として表札づくりをして
それから図解化の要素として空間配置をしている(p.123)
探検ネットでは
ネットづくりの要素として空間配置して
それから統合図解化の要素として表札作りをしている(p.289)
要素の前後関係が入れ替わっている
探検ネットからは「グループ編成」が消えている
グループ編成は実務に必要ではないと
は考えているわけだ
みなさんKJ法といえばグループ編成だと思い込んで、アンケートでもグループ編成の仕方についての質問がたくさんあったんですが、そもそもそれ必要ですかね?って話になるわけです
> KJ法が世の中に出た最初の体系は、六ラウンド累積KJ法であった。そのために、KJ法による問題解決には、時間がかかるという認識を植えつけてしまった。(p.436)川喜田二郎本人は1981年からの5年間で1000枚ほどの作品を作っているがそのうち6ラウンドKJ法は8枚だけ、1%に満たない(p.436)
普段は探検ネット(考える花火)を使ってる(9割)
6ラウンドKJ法は年に1〜2回しかやっていない
半年〜1年掛けて結論を出せばいいようなテーマに対してしかやらない
の例で言えば「一冊の本を書く」みたいなテーマ
軽いKJ法は2週間に1回程度のペースでやっている
探検ネット(考える花火)は2〜3日に1枚くらい作っている
全体の9割程度のケースを占める
つまりほとんどのケースでグループ編成をしてない
なので「グループ編成が常に必要」はデータに反する思い込み
ではどういう時にグループ編成が必要なのか
端的に言えば「枚数が多い時」
枚数が多いので直接空間配置ができない
なので
全体を眺めて「関係ありそうなものをくっつける」
グループにその内容を表した「表札」をつける
表札を一番上にして束ねる
束ねることが枚数の多いはじまりのKJ法をやる上でのキーポイント
束ねることによって見かけの枚数が減る
これがグループ編成の目的
「グループ編成」という言葉にミスリードされてる人がいる
「グループ」という言葉で、例えば「7枚とかのグループを作らないといけない」と感じてしまうのかな
「どこにも入らないものがある」
なら1枚のままにしたらいい
「仲間を見つけられず一枚のまま、というラベルも
沢山 残る」(p.126)
「グループって例えば7枚?」
まず最初は2枚をくっつける気持ち
2枚でくっついたものに後からさらにくっついて枚数が増えることはよくある
「ラベルのセットには、二枚一セットのものもあれば、三枚で一セットのものもある。
なかには 四枚や五枚で一セットである場合もある」(同)
くっつきあった結果として平均13枚になったケースが
の経験にあるが、それは例外的な出来事と考えている
> この例では第一段階の小グループのユニットが平均十三枚弱という多数になって いる。けれどもこれは採集した野外データの中に、文句なしに一グループとすべきものが相当多かったためである。...四、五枚などという紙きれ数やユニット数が一グループに含まれるのがふつうであろう。(続・発想法 p.72)この「2枚をくっつける」をメインに据えたのが「探検ネット」
ツールによって得手不得手がある
今回の勉強会では全員Miroを使う、これは面白い状況
紙でやることが多いよね、多くの場合はクライアントのITリテラシーがマチマチだからかな
探検ネットは2枚のラベルの間の関係を明示的に表現する
これが紙のラベルではやりにくい
は「間にクリップ📎を置く」などの涙ぐましい工夫をしている
我々はMiroの「付箋の間に線を引く機能」を使って簡単に実現できる
なのでこの機会にみんなで探検ネットをやると学びが多そう
今回は「探検ネット」のいくつかのバリエーションのうち「考える花火」をベースに、この勉強会の制約に合わせてカスタマイズしたものをやる
真ん中にテーマを置き360度の方向に広げる
まずは真ん中に一回り大きなラベルでテーマを書く
このテーマから連想したものを新しいラベルとして追加して、線でつなぐ、そのラベルから連想したものをまた新しいラベルとして追加し、を繰り返す
マインドマップ の経験がある人は連想を書いてつないでいくことがイメージしやすいかも
マインドマップはツリー構造を作るけども探検ネットは網目を作る(後述)
なるべく多くのものと短い距離でつながるように配置していく
今回はラベルを事前に書いてもらった
テーマから連想を広げた時に、既存のラベルをチラリと見て、つながりそうなラベルがあれば拾い上げてつなぐ
「事前に用意したものを全部繋ぐこと」は目的ではない
使えそうなら使うという感じでOK
今回の目的
〜ではない
「事前に用意したラベルを全部つなげること」ではない
「データをきれいにまとめること」ではない
「きれいな図解を作ること」でもない
「スラスラと説明すること」でもない
今まで気づいていなかったことに気づくこと
これが「発想」だったり「悩みの解決方法の発見」だったりする
何か一つでも自分にとって新しいことに気づいたなら成功
難しいと思う人もいるだろう、これを「できるだろう」と思えるようになることが大事
(このあたりで時間切れ)
関係を線で表現して網目状の構造を作っていく
探検ネットではグループ編成をせず2枚の関係を線で表現する
KJ法のグループ編成で悩む人が多いが、探検ネットをやることでコツが掴める
「グルーピング」「分類」「カテゴライズ」「軸を作る」ではなく、関係ありそうな2枚をくっつける
対立するラベルも近くに置く
ラベルを周囲とたくさん線が引かれる場所に置く
線はなるべく短い方がいい
この作業をやっていくとこういう網目(ネット)ができる
みなさんの見ているMiroのボード上で実際に作ってみた
網目ができた時点ではグループに分かれていない
網目を作っていく過程で例えば「多面的に考えてたつもりだったけどいざ並べてみるとテーマの周りに隙間があるなぁ」となったりする
「この隙間を埋めるものはなんだろう?」と問いかけることで気づきが促される
網目ができたら2〜3枚ずつペンで囲う
2〜3枚、多くても4〜5枚をめどにして囲う
これがKJ法のラベル集めに相当する
どこにもうまく入らないものはもちろん1枚のままにしておいてよい(一匹狼)
(Miroでは)フレームを使うと良いかなと思ったがやりづらかったのでペンで囲うことにした
囲ったら要約してタイトル(表札)をつける
「どう要約したらいいだろう?」と問いかけることが気づきを促す
狭義のKJ法と違って束ねないので「表札だけで意味がわからないといけない」という制約がない(see
表札の使命 )
多少失敗しても中身を読めば意味がわかるので気楽に要約して良い
この「囲んで表札をつける」を囲みが5〜6個になるまで繰り返す
気づきに注目して叙述化する
作業が終わったら、まずは一息ついて全体をじっくりと鑑賞する
その過程で思い付いたことがあれば加筆して良い
その後、叙述化する
きれいな長文を書かなくて良い
それは今回の目的ではない
再掲: 今回の目的は「何か一つでも自分にとって新しいことに気づくこと」
なので「気づいたこと」に注目して言葉にする
叙述化も目的によってやり方の違いがある by
収集した事実の報告のための叙述化
これに慣れてる人も多いかもしれないが、今回はそれが目的ではない。
「発想のための叙述化」(p.141)
気づいたことや思い付いたアイデアを文章にどんどん入れる
今回の勉強会では元ラベルの全体像を報告することは重要ではない
ので「気づき」を話のメインに据え、必要最小限のラベルだけ解説すれば良い
なぜ気づきに価値があるのか
それが「自転車が前に進む」ということだから
今までと同じことを繰り返していても問題は解決しない
既に知っていることを再確認しても何も学べていない
先に進むためには「今までの考えに反するもの」の良さに気づくことが必要
今回の勉強会の制約
理想のテーマは自分が今まさに悩んでいること
だけどそれは他人と共有したくないよね
例えば自分のキャリアを真剣に考えるなら「転職」は検討すべき選択肢の一つだが、同僚もいる前で転職するかどうかの検討をしたくないよね
他の人の作業を見ることのメリットを優先した
理想としては時間制限はない方がいい
納得いくまでじっくり考える経験が有益
一定時間後に発表予定があると、他人の目を気にして見た目の体裁を整えようとしてしまう人がいる
目的はしっかり考えて、何か新しい気づきを得ることなのに
他の人の気づきを聞くことのメリットを優先した
多人数で所用時間を揃えるのは難しい
速い人も遅い人もいる
遅い人が悪いとも限らない、ろくに考えずに体裁をサッサと整える人がいる
自転車のスタンドを立てたままブンブン回してるようなもの、負荷が掛かってないから速く回せる、それをやっても前には進まない
今回は「最初の30分で網目状にならなかったラベルは放置して先に進む」とする
遅い人は枚数を減らすことで時間調整する発想
「全部使おう」として時間を使いすぎた人が、肝心の後半を焦りながら雑にやってしまう、これでは良くない
後半を雑にやるくらいなら、全部使えない方がマシ、だから後半にじっくり時間を使うことを「ラベルを全部使うこと」より優先した
時間の制約がなければ、本当はすべてのラベルを使おうと挑戦する方がいい
「これはどうすればつながるのだろう」という問いかけが気づきを促すから
時間が余った人
じっくり鑑賞して思いついたことをどんどん加筆すると良い
これは
もおすすめの方法
他の人の作業を見に行っても良い
この勉強会が終わった後に、他人の目を気にせず、自分が本当に考えたいテーマで、じっくり一人でやってみて欲しい
この経験が「KJ法的な考え方が腑に落ちる」ためにとても重要
Q: 花火の網目を作る行為はグループ化の前段階と捉えて良い?
A:それは「グループ化」とか「前段階」という言葉で何を意味しているか次第ではないかな
Q: はじまりのKJ法でグループ化して表札をつけるのが難しくてわかんないという時に、先に付箋間の関係を見出していくことでやりやすくなるのかな
A: やりやすくなる効果は間違いなくあって、だから
的には「はじまりのKJ法じゃなくて実務的には花火でいいんじゃないか、そちらの方がやりやすいし、時間もかからないよね」という感じ
「はじまりのKJ法、時間かかりすぎ」問題は
も自覚している問題
Q: その一つの原因がグループ化をどうやってやるかの言語化が足りてなかったことという解釈
A: いやー、実は頑張って言語化したものがあるんだけど、頑張って言語化すればするほど作業として重たくなって時間が余計に掛かるようになってる
川喜田二郎は自分の判断に自信があるから「どうやるのが正しいのか」とかを言語的に思考することなしにグループ化をできてる
だけど、グループ化のフィーリングがわからない人に言葉で伝えてやらせようとすると、自転車の乗り方を言葉でマニュアルにしてそれを読ませるみたいなことになっちゃう
特に真面目な人が「これを読んで理解しないと自転車に乗れるようにならない!」「マニュアル通りやらなきゃ!」みたいな気持ちになるわけですよ、自転車に跨ってマニュアルを読みながらやろうとする、それでは自転車に乗れるようにならない
川喜田二郎が作ったフローチャート的なやつとかあるんですけど「いやいや、これを読んでできるようになる人おらんやろ」と僕は思うわけです
A:「グループの内容をみて表札を作る」というプロセスを詳細に言語化BしてもAを理解できない人にとってBを理解するのはさらに大変
ワークが終わった後に「今後ロフトワーク流を作るためにどういう取り組みが必要そうか」のショートプレゼンがあると良さそう
たしかに!
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