抽象化能力はどうすれば教えられるのか
そもそもそんな本を手にとって読もうとしている時点で「
学びたい」人だから
ページを割いて説明したところで学ぼうとしない人はそもそも読んでないし、
万が一読んだとしても学ぶ気にはならない
なので読者は学ぼうとしていることを前提として「その選択は正しいですよ」と語りかけるべき
片っ端から、全体像から、必要なところから
比較して学ぶのと、歴史から学ぶのでは後者の方が楽
何がわかってないかを知ることが大事
しかし何を作ればいいんだ?
切り花はいずれしおれてしまう。
根を張ることが大事。
プログラミング言語を学びたい、もしくは、学ばないといけない、という新入社員が主要ターゲット
プログラミング言語をどう学ぶのか?
歴史から学ぶ、比較から学ぶ、は最低一つの言語が作って学べるレベルに達してからだよな
視野を広げる軸のほうが第1軸の方が良いかも
視野を広げる
理解を深める
驚きの最大化

学ぶことによって、抽象化の能力が獲得できる、というのが我々の理解
だけど、学ぶことによって得られる知識と
抽象化能力の間の乖離を埋められないから、人に届かないんじゃないか
なので、なぜ学ぶと抽象化する能力が獲得できるのか、
抽象化能力を獲得しない知識だけの勉強にはなぜ意味が無いのか、という当たりを書くとよいのではないかなー。

Tokoroten Nakayama なぜ学ぶことによって抽象化する能力が身につくの?

どうすれば抽象化する能力が身につくのか。

抽象化する能力が身についたのか、抽象化能力のある人間が勉強の結果抽象化した知見を得る成功体験を積んで、より多くのリソースを学習に割くようになったのか。

抽象化すると何が嬉しいのか。

抽象化すると、新しい問題に応用できる。具体的な数学の問題の答えを覚えても、その問題にしか答えられない。その答えを導いた「解き方」を学べば他の問題も解ける

今時点で抽象化する能力のない人に、どうすれば抽象化能力を教えられるのか?

抽象化能力は教えられるのか?

抽象化って具体的にはどういうこと?

抽象化に関する話題はすぐには答えが出ないかもしれない

知識の量に対して、
帰納によって抽象を獲得する?
自分の経験からすると、同じ分野の本を二冊買うと抽象化に成功する。
複数のものの比較によって、共通して成り立ったものは「
普遍的である」(可能性が高い)と判断できるのか。確かにそれは抽象化だな。

帰納によって抽象化する能力は生得的に持っていて、「同じ分野の本を複数読む」という行動をしないがために抽象化ができてないのではないかと思うが、それならそれで単に行動を教えればいいだけだから能力を教えるより楽だな

プログラミング言語を比較しましょうとか、歴史から学びましょうって言ってるのも、今のその言語が完璧に正しいものではないと疑い、類似のものの比較によって抽象化する、といえるわけか。

あとは

なので、学ぶことは役に立たないが、学んだことを咀嚼した結果が役に立つと言うことだと思う。
ここの差をどうやって埋めるかが、学ぶ事がいかに大事か、というところに繋がるのだと思う。

一連の流れには、
構造主義と、
脱構築という哲学の名前が付いているので、これを使うといいのかなー。

脱構築って要するに何?と聞かれると難しいなあ

抽象化による構造の理解と、構造の変形、破壊による新規創造物の作成かなー。

学び方の文脈で言うと「
正解(の
構造)があって、それを手に入れるために学ぶんだ」という考え方から離れろ、ということになるのだろうか。
脱構築、
構造主義の補集合みたいな感じだから、言うひとによって内容が違うのでアレ。

ここで「各個人が自分の中で理解の構造を作り上げる必要があるのです」とか言うと構築主義に戻ってしまうのか?
と思ったが、これは
構成主義と呼ばれてるのか。まぎらわしいな。