NISHIO Hirokazu[Translate]
成果が自分に帰属して欲しいか
成果が自分に帰属して欲しいかどうかの話
あるアイデアXがあったときに
A:「Xが世の中にあって欲しい」欲と
B: 「自分はXを作った人になりたい」欲とがある
Bの強い人は他人がXを作ると不愉快、Aの強い人は他人が作ってもいい
忙しくて作業できなかったりするとむしろやってくれて嬉しい
がしかし、このシチュエーションになるのがそもそもレアで、アイデアXが他人を動かすほどに良いものである必要があるんだよな
「パクられた!」「別にパクってないけど」はXTwitterではよく見る気もする基素
Bの強い人がXを撒き散らした場合、BはX'/YをXだと感じる
Bは0/1じゃない気がしたblu3mo
「自分がXを作った人になる」→「自分の友達がXを作った人になる」→「近い界隈の人がXを作った人になる」→「遠い全く知らん人がXを作った人になる」で欲の満たされ度合いがだんだんと変わる気がするblu3mo
なるほどnishio
自分が忙しい(or 満たされている)かどうかでも相当変わりそう基素
「忙しい」しか気づいてなかったけど「満たされている」は重要かもなnishio
アイデアX1を作って賞賛されて承認欲求が満たされている状態で、次のアイデアX2をやるのに忙しいときに、少し自分の中では優先度の低いX3を誰かがやってくれると嬉しい
すでに「X1を作った人」であるので、X3を他人がやっても「奪われた」という感じがしない

発掘した

成果物と自分の人格が結びつく件に関して
関連して最近まとめてた「釈迦は「すべて空」とは言ってない」で「これは私ではない」というものが出てきた
初期の釈迦の仏教において「すべてが空」とは言ってなくて、色々なものに「これは私のものではない」「これは私ではない」と言うことによって執着を減らそうという話
同様に、成果も「これが私自身ではない」と言えそう


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