NISHIO Hirokazu[Translate]
調整されたゲームのバイアス
ドラえもんのどら焼き屋さん物語をやってて思ったこと
日常の世界においては「ボトルネックを特定してそれを解消すべきである、それ以外の改善は無益である」的な思考をしている
が、このゲームにおいてはそうではない
1.5倍の効率改善が起きる作業を3つやって、掛け合わせで3倍を目指す感じ
なぜか
ボトルネックを特定して改善することによって大きなパフォーマンスの差が生まれるゲームはバランス調整が難しい
ゲーム実装者側のゲーム全体のストーリーをコントロールしたい欲求によって制約されている
一方で現実社会には人類文明発展のストーリーを面白く演出しようとしている脚本家はいない
(居ると思う宗教の人もいそうだが、それは保留)
意思を共有できないホモサピエンスの個体があちこちをランダムに発展させるので「まだつながってないもの」が「つながっている状態」に遷移する直前には、かならず「最後の一つのピース」が存在する、これがボトルネックを生み出す
目立たない継続的改善/持続的改善身を投じる人の存在が、一時期の日本の工業の強さを産んだのかもしれないので、このタイプの思考を考えなしに批判するのもまた批判されるべき行いな気もする
最初はコンパクトにまとまってる経営ゲームだと考えていたが、これは経営者視点を学ぶのにはあまり良くない
むしろ見えている作業を取捨選択せずにすべてやるような無批判的作業者を育成してしまう
ゲーム体験は特定の思考パターンを内面化させる


関連
3つのゲーム内要素をそれぞれ100まで伸ばす的な思考
ゲームは人が実装した世界だから、実装コストをかけて作った要素は使ってほしい
「使うことで不利になるから一切使うべきでない」という要素はない
「STRとDEFを捨ててAGIに極振り」みたいなやつ
これは早い段階での意思決定が必要になる
大部分の人はバランス型で育ててしまう
やり直せる
お客さんにあげたプレゼントを取り戻せる実装になっていた
現実世界ではあり得ない
ゲームとして考えたとき、重要なアイテムを間違えて渡してしまうとやり直したくなる
リアリティよりエンターテイメントが重視されてる


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