NISHIO Hirokazu[Translate]
主語が大きい人は不安
主語が大きい主張をする人は自分の人生が不安なのではないか、とふと思った。

「人は皆、技術Xを学ぶべきだ!」
自分が技術Xを選んで学んだのだが、その選択が正しかったのか不安なので、こう言う主張をして賛同者を見つけて安心しようとしている
少し相対化して考えると、自分がXを学んで「これは有用だ、他の人も学ぶべきだ」と思う時、自分がまだ学んでないYを学んだ人が同じことを考えているはずなので、早くYを見つけて学ばねばならないと思うはず
その発想にならないところに病的な視野狭窄が起きてるように感じる
「人は皆、問題Xを真剣に考えるべきだ!」
自分は問題Xの解決に動いているのだが賛同者がいなくて不安
全員が同じ問題を考えたら非効率では?

「賛同者がいなくて不安」というのは、要するに誰かに「その方針で良い」といって欲しいということだろうか
自分の主体的な選択に自信が持てない
誰かに決めてもらいたいと思っている

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