NISHIO Hirokazu[Translate]
映像で見てから言葉で解説する


僕は「当然あるよね、してるし」派なんだけど、意外と違う意見の人がいる
僕にとって「ある」ということが経験的に明らかなので議論の余地はない

アファンタジアと関係があるのかもしれない

「思考は言語でするもの」という思い込みが激しくて、言語的でない思考を全部無視しているのかもしれない
言語的でない思考を「思考ではない」とラベル貼り替えしているのかもしれない

非言語的存在操作経験が乏しくて非言語的存在を操作して思考することができないのかもしれない
この場合は単に訓練によって獲得できる

今までの色々な事例が「非言語的存在の操作」で全部まとまる気がした
囲碁: 白と黒の石
図形
非言語的思考で実益のあるものを生み出す事例として、GUI設計をするときにまず脳内でまだ存在しないGUIを操作しているところを映像で見て、それからその振る舞いをコードで実装する(≒言語化)
まず「ああー、無理ー!!」という非言語的な体験が先にある
その後で「3回連続であれを取ろうとして、足を滑らせて落ちてる」「なぜなのか?」「どうすれば進めるのか?」と言語的に思考している
エンジニアの学び方のモデル更新の図での説明と同様、行動→なぜ期待と違う?→どうすればよい? というプロセス
解決策、特に他人のプレイを映像として見てから「なるほど腰をひねるという手があるのか」とかなる
>なるほど、手は伸ばしたまま腰を捻って壁に近づける手があるのか(他の人の動きを見てた)
漠然としか認識してなかった身体部位を運動によって認識してから「これってなんて言うんです?」「大腿筋膜張筋ですね」と事後的に概念のハンドルを獲得する

"Engineer's way of creating knowledge" the English version of my book is now available on [Engineer's way of creating knowledge]

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