NISHIO Hirokazu[Translate]
雑談2019-07-31
ボードゲーム
パンデミック=協調ゲーム
協調ゲームで大名プレイ(1人のプレイヤーが他のプレイヤーに指示を出して従わせる状況)が発生するのはなぜか
すべてが公開情報である場合、一番頭のいい人(orゲームに慣れた人)が指示を出して全員を従わせるのが最適解になってしまう
協調ゲームが面白いゲームになるためには非公開情報がなければいけないのではないか
自分の秘匿情報を伝えることができれば全体最適な戦略を取れるのに、伝えることができなくてもどかしい
逆説的に情報開示・情報共有の大切さを痛感する
情報共有で自分の価値が下がらないことが条件
情報を独占することによって自分の価値を作り出そうとする人がいる
>部下に情報を共有せずにせき止め、自分と部下との間に情報格差をつくることで自らの優位性を保とうとする人も出てきます。
チームワークを学ぶ上では、正常に動いている組織をゲームでプレイしても意味がなくて、深刻な機能不全に陥っている組織をゲームの形で体験して悲惨さを痛感し、現実でそれを再現しないように行動するのが良いと思う
というわけでアヴァロンのような「ヤバイ組織」ゲームをやるのが良いと思う
ってのをボードゲームコネクトキャンプ2017のレビューで書いた
協力ゲームは大前提として全員が共通の勝利目標を共有している
現実の組織でも理想状態としては全員が目標を共有している
ところが現実にはしばしば目標が食い違っている
人狼系ゲームも似た状況、ゲーム設定上は協力して人狼を倒すことになっている、しかしそのメンバーの中に勝利条件の異なる人が混ざっており、それが誰かは非公開情報

社会を変えたい人がどこへ行くか
教育を変えたい人が文科省に行くか、教育に対して資金投下する余裕のある大企業に行くか
企業の資金量で殴るプレイが、しばしば国がやるより効果的
国はしがらみが多い

資金で殴るプレイ
これが最高の効率であるとは限らない
社員の自由度を高めるプレイ
熱意のある人の行動を妨げない
熱意を邪魔すると冷める
熱意を邪魔しなければ熱意が価値を生み出す(可能性がある)
金で熱意を生み出すことはできない

この数十年は発言のハードルを下げることの歴史だった
テキストサイト→ブログ
HTMLを直接書かないことによるコスト削減
ブログ→マイクロブログ(Twitter, Tumblr)
ブログが暗黙的に要求していたフォーマット(投稿にはタイトルが必要、など)を剥がすことによる心理的コスト削減
電子メールからチャットツールへビジネスコミュニケーションが変化した
メールが暗黙的に要求していたフォーマット(挨拶や「よろしくお願いします」など)を剥がすことによるコスト削減
Twitter
「今何している?」
問いかけることによる言語化
140文字制限
大したことがかけないようにすることで、大したことを書かなくても投稿できる
「整理されたブログ記事」を書かなければ情報発信できない人に言い訳を与える
Favorite
現在のハートと違って、当初はFavoriteという名前の星だった
これはブックマークと同義語として使われることもある単語だった
Favoriteが対象者に即座に通知される仕様だったため、これは「ワンクリックで肯定的ストロークを返す手段」として使われるようになっていく
発言者に対しては、発言に対して高速に報酬が与えられることになり、発言するという行為の強化につながった
Slackのカスタム絵文字、LINEのスタンプ
文章を入力するのではない方法でのコミュニケーション

話して面白い人
逆に面白くない人はどんな人?
未来の話がまったく出てこない人
こだわりがなさすぎる人
やりたいことがあるって言っているけど、それに向けて何か行動してるかっていうとまったく行動してなくて、多分この人来年も同じことを言いながら何も行動しないんだろうなって人
やりたいって言ってるけど実際のところそれほどやりたくないのでは
認知がすでに狂ってしまっている
自分にやりたいことがないという事実を直視することを避けて、やりたいわけでもないことを「これが自分のやりたいことだ」と考えてしまっている沼

自己開示
できるとは限らない
グレてるオジサン
(グレてる?)
実態以上の自己認識をしている
過剰なプライド
自己認識を肯定してほしいツイート
でもそれは「オッサンの自慢」「オッサンの唐突な自分語り」なので周囲からはネガティブに評価される

利他的な行動はコスパが良い
それは本当か?
恩を返す人かどうかは事前に判断できないので、選択と集中はできず、バラマキが必要である、説


「人をぶったらダメ」
一見正論
「人に意見を伝えるのにXという手段を取ってはいけない」
X以外の手段を持たない人は意見伝達手段がなくなる
「意見がある人はLISPで書いてください」→異論があっても意見が言えない
この議論の進め方に対する異論すらも言えない
これに関する何か英語圏の言葉を見た気がするが忘れた
誰かが不快な感情を抱くということに対する議論をする場合に、感情について記述していることに対して「感情的な議論をするな」という規範を押し付ければ、不快な感情を抱いている側の主張を封印することができる、って感じの話

突破する個人は良いものである教 自発性 熱意
突破する個人は育てられるのか
後天的には作れない説
「育てられるかどうか」は誤った二分法
「育てる」ことはできない
育つのを妨げることはできる、簡単に
「育つのを妨げる」ことを徹底して避けると、勝手に育つことがある
この話を聞いて「何か変化はありましたか?
before: 人に二種類あると考えていた
after: グラデーションである


子と親のメタファー
子供は生育過程で、親が絶対強者の時期がある
物理的な体格差のせい
「親が反対すれば、実行することはできない」という経験を積む
そのメンタルモデルを大人になっても引きずる
「上司が反対すれば、実行することはできない」
しかし上司が反対したとしても、大人には転職するなどの選択肢がある
大人の人生について、意思決定をするのはあなた自身である

バグっている人の話は面白い
平均的な人ではなく、外れ値である人が面白い

「自己開示」は抽象概念ワード
今回の雑談では色々なものが自己開示に帰着して面白かった
しかしその「自己開示」は具体性が低い抽象概念ではないか?
「自己開示」というラベルに帰着することで安心して思考停止していないか?
その「自己開示」とは具体的にはどういうものなのか?
「自己開示」が行われると次に何が起こるのか?
「自己開示」が行われる少し前には何が起こるのか?

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