理想と計画
2:
なぜ小さくまとまった提案書が生まれてしまうのかというところに関して深掘りしたい
理想Iと異なるゴールGの達成の話をしてしまう
「そのゴールGが実現できたら、なんで理想Iが実現できるんですか?」と聞かれる
GからIへの計画P'があまり考えられていなかったり、曖昧だったりして、質問された時に詰まってしまう
「今の技術で容易に可能なことをやるだけの話、面白くない」と言われてしまう
「可視化できるのはわかるけど、可視化してなんの意味があるの?」みたいな話
「Gまで行けば理想Iに対して一歩前進、あとは誰かがやってくれるかもしれない」
3:
いろいろ改善の余地はあるが理想まで到達する計画
これはさほど問題視されない
正確に言えばこれを問題視するカルチャーの人たちと、問題視しないカルチャーの人たちがいる
P1をやってみることによって新たな知見が得られて、P2をやってもダメだとわかるかもしれない
周囲の人のアドバイスでより有望な手段P4が発見されるかもしれない
そしてこれが一見有望だったがやってみると役に立たないかもしれない
でこぼこであっても理想Iまでの道筋を引くことができているならば、将来その計画通りにいかない事態が発覚しても、新しい計画を作ることができる、という推測
(2)だと、理想Iまでの道筋を引くことができるかどうかに疑念が湧くんだよな
「やりやすいところ」だけを先にやることで、より困難な問題が残される
やりやすいところの計画しか立てていない人がその困難な問題と戦えるか書類や面接では検証困難
ソフトウェアに限らず計画もプロトタイプなんだな、プロトタイプを作ることによって「このプロトタイプを作ることができる能力がある」というエビデンスになる
能力と
熱意をどういうウェイトで評価するかは人それぞれな気はする
が、どちらも最低限のラインがありそう
熱意だけ高くても実現できるのかこいつという感じだとイマイチだし、優秀そうな学生が技術力の高さをアピールしてても熱意が感じられないと「なんでこれをやるの?」という質問が出てくる
でも熱意を高めに評価するメンターも多いかもな
単純に、自分が関わる上でそっちの方が楽しいし
問題が分割されることによって周囲の人がアイデアを出しやすくなる効果
(3)の方は「P1よりもP1'した方がP2との接続がスムーズじゃないか?」みたいなアドバイスが出やすい
(2)で「P'の部分はどうしたらいいっすかね?」とか言われても「は?お前のプロジェクトなんだから自分で考えろよ」みたいになる
ああ、そうか、これは事業や組織の形態によるんだな
自分と相手が理想Iを共有しているチームであるならその二人はP'の議論ができる
一般的にイベントで発表したのを聞いてコメントしてくる人は全部「鶏」
「これは君のプロジェクトなので君が考えて判断しなさい」
豚と鶏はグラデーションではあると思う、自分の名前を出してプロジェクトを採択して対価をもらってるメンターはそうでない立場のメンターよりもうすこし豚的な当事者意識を持ってそう
一方で、そうなるとより一層「自分が豚として主体的に関わるのに適したチーム/プロジェクトか?」というところがシビアに見られる
結局(2)より(3)の方が関わりやすいんだよな